文學仲間は小4の女の子

教会に行く前に、お電話いただいた長橋台の終活をしているという友達N子さんのお宅に立ち寄り、それから今日。午後、土日ジャンボ市に野菜の買出し。魚を2点購入。午後2時帰宅。掃除やら、資料に目を。

教会のY一家転勤決定。みなさんが残念がっている。Sさんなどは、「号泣」したと。本当らしい。Kちゃんは、わたしとは立派に対等な文學仲間。今後もつづく。Kちゃん、小学校4年生。

平和がいい

何か落ち着かず、本を読むと、落ち着いた。執筆とは離れた読書、カズオ・イシグロだ。自分の感覚には合っている。

終日、家の中。

午前中に何もしなくとも、きのう凍った水道が出てきた。連日2、3℃が続くと、そして最低が-1、2℃であれば、放っておいても大丈夫ということだ。

午後は、ちょっと資料に目を通す。通り一遍のことしか書けない。どうも流行歌は自分には合わなく、聴くことはまだしも、書く事は役目ではないなと感じながらのささやかな戦いというところ。

 

きのう、T子さん、原発のはなしをよくなさるT子さんの方だが、六ケ所、何かがあったら一大事との話題。それがきょう、誰かさんが、核の増強だという。怖ろしい。核で核を抑止していったいどうする?泥仕合のはじまりだ。

感謝、感謝

もう22時過ぎてしまった。

 

洗面所の水道を出してみると、凍結。これで1日出かけられなくなるなと。

午後には3℃になるから融けるだろう、しかし融けなかった。そのまま元栓をしめて放置。あすは気温が上がりそうだ。

午後になって、近所のOさんが、ブーゲンビリアの花が咲いたので見にきてくださいと。カメラ片手に急行。40分ほどおじゃま。水道が気になり帰宅。

夕刻野菜が無いので最寄りのスーパーへ。歩きながら、やがては買い物難民だなと。夏場は、バイクもまだのれるだろうけれども、冬場、まだ大変とも感じてはいないけれども。あと10年もしたら、けっこうしんどいことに。

 

きのう原稿をだしたばかりか、きょうは本も開かずじまい。なんとも落ち着かない一日だった。雑用が多い。それと、なにか気が散る。休んでいた方がいいのだろうが。

そういえば、夜に、民生の会長から電話あり。わたしの体の調子を心配してくださったもののようだ。彼女も一家の主婦でもある。きめこまやかさに脱帽。いつもこの方にフォローいただいている。感謝、感謝。

経済格差

午前中、PCのファイルの整理がよくないのを自覚し、整理しようと思うも、あまりに雑多になりすぎて処置無し。

10時頃だったろうか、やっと原稿を文芸誌のほうに送信。文芸誌には出せないなと思っていたのが、すこしの無理をすれば、書けないことはない、いや書けることを、自らが証明したかたち。しかしこれは、体力と視力が持つあいだという条件つきではある。

きょう、アマゾン購入の貴志康一の本が届く。

午後から自宅のふろの水回りの関係で、ユピアスに行って入浴。主人は水泳、わたしは風呂。サウナ10分。心臓がどきどきしはじめたところで出るのだけれども、それが約10分。

友達から電話。またこの1週間以内に厳しい治療に入るという。わたしが出した手紙を繰り返し読んでくれているようだ。また書いて欲しいという。教会に行ったときに彼女の病気のために祈った。治るようにというよりも、彼女のこのような人生に納得のできる意義付けを彼女の納得がいくように神自らが、得心させてくれることを祈った。お見舞いに食べ物は要らないという。十分足りていると。入院患者の中には、経済事情で、それが足りてないと感じる方がいらっしゃることもまた知っている。関係者ではないが、その厳しい背景も胸が痛むことではある。経済格差だ。

 

こうしてみると、資料さえあれば、いくつでも短編は書けそうでもあるが、家事が無ければのはなしで、常時の無理は禁物。

電話多し

きのうの覚書

午前教会。昼頃水道関連調査。

そのあと原稿書き。

夜に長男から、皆既月食を見ているかと電話あり。

いまの時代、毎日何とか暮らしていければ、これはもう大感謝だと私は思っていますよ。

夜10時に20枚弱完成したが、PCトラブルで当日中に送信しかねる。夜中までやっていて、首と目がちょっとしんどかった。

午前、午後と、間違い電話が多く入った日であった。

連日の冷え込み

午前中、原稿、午後、地域の仕事。高齢者の方々のお食事会の設定、参加の可否を問う文書を24軒に投函してあるく。在り方を検討の必要あり。

その後、最寄りの書店へ。近くのいつものT子さん同行。きょうも歩けてよかったと仰る。氷点下の中だったが、外の空気を吸うのは爽やか。

夜9時近くに息子から電話。連日の冷え込みを心配したらしい。二男に電話してみると、きょうは荷物を受け取れなかったらしい。

 

恐るべきはでっちあげ

ゆうべ二男がどうしているか電話してみた。いまマッタリしていたところだ、ちょうどいい、と言っていた。いちいち心配する齢ではないと思いつつ、このところの異常気象には心配させられる。二男にちょっと送りたいものがあったので、買い物にでる。引きこもりがちな、いつもの方を気晴らしにでもなるかと誘う。買い物を終えて、12時までに帰るには時間が余ったので、高松の池に白鳥を見せにお連れすると、もう何年も見ていないと言っていた。午後は原稿書き。なかなか取り掛かれないかった。1月に会う約束をしながらいまだに電話もしていないなと、Nさんに電話をしてみる。肺の方の検査は来月の26日とのこと。大事にいたらぬ事を祈る。わたしが忙しいだろうから電話するのを遠慮していたという。それからやっと原稿を手直しして、乗ってきたかと思うところに主人帰宅。5時だった。夕食準備に取り掛かる。

あすも-10以下になるらしい。シベリア抑留になった方々、よく帰還できた方々がいたものだ。多くは、やはり体力、気力が人並み以上の方々ではないのか。

仏に徴兵制、若者たちの反応は、何れも戦争の残酷さ、悲惨さ、非人間性を実際にはまったく知らないように見受けられた。どんなこともあり得るのが戦争だ。諸悪の坩堝だ。

きょう電話で話したNさんが言っていた。「人の悪口を言う人がいる。でっち上げてまで事実のように言う人がいる」と。怖ろしい事だが、事実そのような性癖の方々がいるのだ。幾たびも経験している。実際にしてはいないことを見たように人に話し、貶めて満足、或いは自分の心の救済となしている、そういう方々はたしかにいる。

わたしが備忘録をつけているのも、万が一そのような立場に立たされたときに、開示するためという側面もある。怖ろしい世の中だ。またそういう仲間に囲まれて何かをしなければならないとしたら、なんという人生、なんという不幸なのだろう。ただ、そうとわかっていても、ダイレクトに指摘できる場合は少ない。訴訟に発展するケースもあるだろう、しかし、多くは、泥仕合になることを恐れて我慢する、見て見ぬふりをする、知らぬふりをしてすごすということになる。それが人間界の大方のようにも思う。