経済格差

午前中、PCのファイルの整理がよくないのを自覚し、整理しようと思うも、あまりに雑多になりすぎて処置無し。

10時頃だったろうか、やっと原稿を文芸誌のほうに送信。文芸誌には出せないなと思っていたのが、すこしの無理をすれば、書けないことはない、いや書けることを、自らが証明したかたち。しかしこれは、体力と視力が持つあいだという条件つきではある。

きょう、アマゾン購入の貴志康一の本が届く。

午後から自宅のふろの水回りの関係で、ユピアスに行って入浴。主人は水泳、わたしは風呂。サウナ10分。心臓がどきどきしはじめたところで出るのだけれども、それが約10分。

友達から電話。またこの1週間以内に厳しい治療に入るという。わたしが出した手紙を繰り返し読んでくれているようだ。また書いて欲しいという。教会に行ったときに彼女の病気のために祈った。治るようにというよりも、彼女のこのような人生に納得のできる意義付けを彼女の納得がいくように神自らが、得心させてくれることを祈った。お見舞いに食べ物は要らないという。十分足りていると。入院患者の中には、経済事情で、それが足りてないと感じる方がいらっしゃることもまた知っている。関係者ではないが、その厳しい背景も胸が痛むことではある。経済格差だ。

 

こうしてみると、資料さえあれば、いくつでも短編は書けそうでもあるが、家事が無ければのはなしで、常時の無理は禁物。