ひさかたぶりのオケ

朝がすこし怖い。血圧のことだ。あまり早くに起き上がらないようにしている。特に、5~6時。ぐんと冷える時間帯だ。春よ来い!はやく来い!寄り道しちゃだめよ、井戸端会議なんてうっちゃって、とにかく、とにかくはやく来い!いくら呼んでも、あとひと月以上は待たせられる。

 教会の花係、けさ気づいて、はやめに家を出て、花を置いているスーパー経由で教会へ。教会総会もあった。帰りに、何と、何と、明るいお日様のような子供たちのご家庭、ご一家の御主人に転勤の内示が。あの子たちがいなくなるとは!

 その後は、県民オケの定演に。Y女史の演奏姿を目的に駆けつけると、ベートーベン「英雄」これがなかなかだった。特に第2、4楽章がよかった。Y女史、弓の動きも他の弓としっかりと平行に動いていて、う~んと感心。指の力もなければ、ああはいかないはず。とてもあの年代とは思えない。長い鍛錬の賜物だ。

帰宅後は、家事で終わった感じ。

愚直でありたい

けさの冷え込みは-11.5。水回りの後始末の煩雑さから、きょうは、ユピアスで入浴することにした。主人は水泳がしたいというので、2方に分かれた。サウナを使うと、随分とすっきりとした。1時半ごろまで、休憩所で本を読んでいた。周りはやはり新聞を読んだり、おやつを摂ったりしている。あたりを気にしなければ、居心地は悪くない。

 

 帰って、さて朝の分の食器洗いを、と湯を汲んでいるうちに、凍ったはずの水道から水が出てきた。帰りの車の中で、蛇口から水が出る光景ばかりが浮かんでいたが、果たして正夢ならず正白昼夢であったかも。もし出なければ水道業者に電話するはずだった。ただ、出るとは思っていたので、放っておいて出かけもしたのだ。

 

 何かひとつことを始めようとすると、さまざまなことが頭に浮かんできて、その思いに引っ張られて、何か気分が散漫になり、やる気が削がれてしまうという事が近ごろ多い。何も考えずに、ただ愚直に、淡々と行うことがいかに必要であり大事なことであるかを思わせられる。愚直である方がいい。愚直である方が物事が成っていく感じがする。

 

圧雪

けさ自分の載ったタイムスを見て、ほんとうに有難いことだと思った。もしこの連載をしなければ、わたしはほんとうに終活の一環として、集めた資料をぜんぶ捨てていたかもしれない。本を出した時点で、この面白さをわかってくれる人がいないのだ、そんな諦めがあった。それでも、資料だけは捨てがたく、けっこう苦労して集め、コピーもとったことで、なかなか捨てられないでいたのだ。これをともかくも、こういうものもありますよと、公開する機会をいただいたのだ。

 できるだけ人に迷惑をかけないようにと心がけやってきた。ほんとうは、もっと取材し、歩くべきなのだが、出歩くことがなかなか憚られる。そこはやはり専業主婦なのだなと思う。

 4時過ぎに主人が帰ってきてから、スーパーに買い物に出かける。すこしの外出でもすっとする。帰りにバイパス北山あたりの気温表示は-6度、5時時点で-6度。今夜はぐんと冷えるだろう。

目が心配だ。また視力が落ちた気がする。眼が疲れている。バイパスは融けているが、ちょっと入ると、圧雪。しかしこれぐらいが皆が慎重になるので、事故は起きにくいかも。

神の責任

 朝に友達から電話。症状が出ているのがわかる。とにかくどんな言葉でもいい、何か元気を出してもらう一言はないかと、平然のふりをしながらも、心の中で焦りまくった。友よ、何も病気はあなたが悪いからなったんじゃない。友よ、不可抗力で苦しむとしたら、それはもう神の責任で、必ず、どこかでは辻褄が合うはず。あなたは必ず救われるはず、わたしはそう思う。誰が何と言っても。

 

一日中家に。読書などなど。
午後に寒くともすこし外の風にあたろうと20分ばかり辺りを歩く。岩手山が見えるかと神社の階段を上ると、向こうからか一群が。思わず取って返し脇道に入った。神社関係の集まりなのだろう。男の方たちばかりだったので、避けたのだけれども、二人知っている方だったので、向こうの側からいえば、不愉快だったかもしれない。挨拶するのが何となく億劫だ、そんな心境になることがある。敵意はないけれども、いまここで挨拶したり、何か億劫だ、そんなときがある。これはやはり、面と向かっては、ふつうの挨拶をしていただけるが、こちらに対しては、それなりの反感を持っているグループの方々という認識をこちらが持っているからだ。しかし、役員にしろ、決まった人たちが犠牲を払わされるという論法はなく、やれる人物が地域にはたくさんいながら、押し付けられている側面があり、ならばと、思う所を会議で言ったという結果なのだ。

 

夜は教会の役員会の予定だったが、この寒さで、主人があまりに心配するので、欠席に。確かに遠くもあり、帰りが夜の10時にもなるとあっては、それに、-6、何があるかわからない。当初は、この役員会ばかりは何があっても行くつもりで、行きはバスで、帰りはタクシーでと算段していたのだが、欠席もやむを得ないかもしれない。今の気象は昔と違って何があるかもわからない。事故ってからでは遅い。

 

文芸誌用の原稿の書き足し。

 

写真を送ってくれた甥の嫁にお礼状を書かねば。遅れている。

 

 

解決

朝のうちに原稿送信。ただ一応、ある人物の死亡年代ははっきりさせる必要がある。午前中のうちに、こんど文芸誌に載せる方に電話し、原稿内容を確認してから、昼食を出して、摂ってからすぐにでかけた。アイスバーンだ。バスがかなり遅れてやってきた。

 

語彙検索で探すが出ていそうな本がヒットしない。盛岡市史ではどうかと当たってみる。巻末の方に、名士が永眠する所属の寺と没年月日が出ていて、ほっとした。解決である。死亡記事は後日でもいい。2冊ある本のうち、どちらが間違っているか、これではっきりした。3時には図書館を出ることができた。来るときはバスだったので、この寒さの中ではあったが、買い物がてら歩いて帰ることにした。それでなくとも、この雪で運動不足。大通りの車道はすっかりアイスバーンだ。あすは日中もマイナスになるのは必至。明朝は見事な渋滞となるだろう。4時半帰宅。けっこう時間がかかった。冷え込んではいたが、それほど寒いとも思わずに済んだ。

帰ると主人が配線の簡易工事をしていた。よくもまあ、これほ電源を必要とする器具があるものだ。この部屋だけで8つも。

夕方地震があった。

大雪予報、異常寒気だ。

原稿できる

取り掛かる前に、ぐっと祈ったところ、書いていくうちに、これならできるなという実感がして、内容を絞って絞って、縮めて縮めて、何とか夕方には完成したが、逝去した年代が2冊の本で違っているのだ。片方には大正3年、片方には大正4年。調べておかねばと思い忘れていた。しかし、死亡年だけで、マイクロから調べ上げるのは容易ではない。いちど墓を見ているが、たしか、この方の墓碑に刻まれた字が風化していて、判然としなかったのだ。大正3年か、4年か、それが問題だ。さて、どうする。そこまで書かなくとも許されないことはないのだが。

朝から雪。一日中雪。

朝9時頃だろうか、高校時代の友人から電話が入った。主人の作品に関してのことだった。主人が応対した。

雪かきすこし。車に積もった雪を掃い落す。

夕食時間をつい忘れていて、コンビニに走る。何とか調達。たまには許されるかと思う。 

不出来

なにか、原稿書きモードにならず、締め切り迫るも、ただ、年表のような打ち込みのみ。午後からやっと何とか気分が乗ってきたかの矢先、電話、実は管理人が無断でマンションの部屋に入っていたというはなし。所属する学会にそのことを話し、一もめしたとのこと。管理人が無断で居住者の部屋に入るのは、昔からよく聞くはなし。終わって石油タンクの給油があり、夕刻迫って、Kさんが生活クラブのカタログを持ってきてくださり、N夫人がことし初に見えた。どれも楽しく有難い。

夕食後にまた視点を変えて書き始めるが、今回は不出来。こんど書く項目がよく知った事だとタカをくくっていた自分を悔やむ。今回は間違いなく不出来になるかの予測。