神の責任

 朝に友達から電話。症状が出ているのがわかる。とにかくどんな言葉でもいい、何か元気を出してもらう一言はないかと、平然のふりをしながらも、心の中で焦りまくった。友よ、何も病気はあなたが悪いからなったんじゃない。友よ、不可抗力で苦しむとしたら、それはもう神の責任で、必ず、どこかでは辻褄が合うはず。あなたは必ず救われるはず、わたしはそう思う。誰が何と言っても。

 

一日中家に。読書などなど。
午後に寒くともすこし外の風にあたろうと20分ばかり辺りを歩く。岩手山が見えるかと神社の階段を上ると、向こうからか一群が。思わず取って返し脇道に入った。神社関係の集まりなのだろう。男の方たちばかりだったので、避けたのだけれども、二人知っている方だったので、向こうの側からいえば、不愉快だったかもしれない。挨拶するのが何となく億劫だ、そんな心境になることがある。敵意はないけれども、いまここで挨拶したり、何か億劫だ、そんなときがある。これはやはり、面と向かっては、ふつうの挨拶をしていただけるが、こちらに対しては、それなりの反感を持っているグループの方々という認識をこちらが持っているからだ。しかし、役員にしろ、決まった人たちが犠牲を払わされるという論法はなく、やれる人物が地域にはたくさんいながら、押し付けられている側面があり、ならばと、思う所を会議で言ったという結果なのだ。

 

夜は教会の役員会の予定だったが、この寒さで、主人があまりに心配するので、欠席に。確かに遠くもあり、帰りが夜の10時にもなるとあっては、それに、-6、何があるかわからない。当初は、この役員会ばかりは何があっても行くつもりで、行きはバスで、帰りはタクシーでと算段していたのだが、欠席もやむを得ないかもしれない。今の気象は昔と違って何があるかもわからない。事故ってからでは遅い。

 

文芸誌用の原稿の書き足し。

 

写真を送ってくれた甥の嫁にお礼状を書かねば。遅れている。