たいまつ

また早朝に除雪車の音。

ストーブ点火まえの室温4℃。教会へ行くか否か、すこし迷ったが、すでに駐車場を除雪していらっしゃるだろうし、またストーブをもう一台準備して、座る椅子のところに置いてくださっていると思い、また息子たちや病気の方々のためにと思うと、これは休まれないという気持ちになり、1週間に2日も教会に時間を費やすることにためらいもあったが、行くことにする。実際42年間のほとんどをこのようにしてきたのだ。今思うと驚くべきことでもある。詩篇の学びとお祈りだった。
ただ、いまは世界中で、修道院無人になったり、教会が閉鎖されたりが相ついでいるが、この世の中に、まことの神の奉仕者がいなくなったなら、暗黒がはじまる、そんな気がする。松明を灯し続ける人々、教会がなくてはならないのだ。感動は神の共感だと思っているが、神の共感を得られない人類は、恐らくは存在する必要がないだろう。

 

午後は、運動の必要を感じ、近所の方を誘って、デパートまで歩いた。買い物はしない。画廊を見て、5階にあるベンチで休んできただけ。それが、そのベンチにずっと座っていた男の人がいたのだが、私たちが帰る頃には、まだ他の人も近くに座っているというのに、ベンチに寝ころんだのだ。もしかすれば、体ばかりでなく、心も疲れていたのかもしれない。同じフロアーのすぐ近くに宝石売り場があり、男性店員が4人も、まったく客がいないにも関わらず、陳列ケースの前にきちんと、両手を組んで立っていた。社員養育が行き届いていて、きちんとした体制でいなければならないのだろう。そのすぐ近くでのことであったので、違和感があった。疲れている、世の中が、何かが、なんだろう、どうなってるのだろう。