また始まったか

きのう21日は午前は賢治関係のGさんと10時15分に福祉会館で会い、お願いしていた資料を受け取る。これで2回欠席してしまったが、いつも一緒に行くMさんも休み、コロナで主人が心配するで欠席となってしまった。話を聞かないのは実に残念ではあったしもったいない事であった。けっこう1時間ばかりはなす。かつての住まいの近くに住んでいたWさんの話しも出た。疎遠になっていることを申し訳ないと思いつつ教会に来て下さる方々優先にしていることもあり、とても対応が追い付かないというのが実態でもあったのだ。

 やはりきのう21日(月)午後昼過ぎに二男がやってきた。あらかじめ電話があったのだが。ケーキ3個、それに赤い袋にリボンがかけられたプレゼント。誕生日に忙しくて来られなかったからと。3人でお茶に。携帯用の折りたたみいす。疲れたときにどこででも休めるようにとの配慮だ。そしてシーズニングルームの戸を直してくれた。ほんとうに変わったなと思う。お世辞やうまいことばは言わないが思いやりを感じて胸が熱くなった。帰った後で「ほんとうに変わったね」というと主人が珍しく肯いていた。

 

今日22日は午後から長男に発送しに駅の山口屋に。コロナが怖かったが、送りやすさがあり、往復バス。3時帰宅。そのあと郵便物もあり、次男の家を見がてら。足場が組まれていた。ほんとうに嬉しく思った。写真を撮ろうとした時、空が晴れてきて光がさし明るく、これからは次男たちもきっとよくなる、そんな気がした。

夕4時帰宅。すぐにいつもの病院からの電話。グッド・タイミング。

音楽を聴いたり料理したり、詩集のまとめ方を考えたり。多く詰め込むよりものこす価値基準に照らして少なめに残した方がいいだろう。

 

また本能寺のブログ切りが始まったかなと思われるふしがある。しかし上手く知られぬようにやるものだ。とはいえ、だいたいどうやっているかはわかる。東北ブロックはもうすでに切り捲ったなと思われる。

それでもいい。息子たちが幸せでさえあれば。それも脅かすとなればやはり手段を講じなければならない。

主人はひとの悪口を言ったことはない。息子たちもそういうことには一切かかわらない。時間の無駄だと思っている。ひとを貶めることは絶対にしない。たまたま私が一部から憎まれたことで酷い目にも遭うことになった。神はただ種に委ねよとおっしゃるであろうか。

それにしても聖書は知恵に満ちている。