カボチャの解体

はや20日、木曜日。健康維持に歩こうと6時近くに家を出る。ひと町向こうの知り合いの方に話しかけられ、それが30分という長さ。スーパーに散歩がてらに返してこようとパックを下げて来たのだが、片手にしたまま話に聞き入る。もっぱら聞き役。割って入る余地はない。歩く時間は短くなるが、それもいいかと。ずっと決まった時間に掃除をしておられる。

すっかり終活づく。勢いに乗って進めようと、主人は畑に出かけたが、押し入れの衣類を分別。カーテン類を廃棄することに。シーツ類は切って鍋ふきやら油拭きやらに。戸棚の食器もできるだけ廃棄。綺麗だと思って取っておいたびん類も思い切る。取っておいたとしても何れは捨てられる命運に従うだけの代物。人がひとり終わるというのは、こういう事でもあるなと。随分と大量のゴミが。ゴミ集積所に出すのは気が引ける。クリーンセンターに自分で持ち込んだほうがいいかも。がんがんとゴミをポットに投げ込むのだ。ついでに自分も飛び込んでみたら、いっそ世の中がすっきりするかなどと考え笑ってしまった。片付きましたよとでも言って、私に消えてほしいと願っているあの人この人を安心させようか、ここまで出かかり、冗談がきつ過ぎたかなと折り返す。

どんどん身の回りを軽くする。家の重みがぐんと減り、敷地もほっと息をしているような。

午後は民生の動員。小物づくり。けっこう楽しかった。同じものを同じ材料で作るのだが、十人十色の個性がはっきりと。相変わらず保守を打ち破れない作品、自作がそれだ。

帰宅して草取り。5時ちょっと過ぎまで。

大きなカボチャを解体。蒸し揚げる。