神が力をくださる

 午前は、地区のサロン。10時半。検診の予定だったが、日程のやりくりのために変更。10時45分ごろに駆けつけ。1時半ごろ帰宅。塗り絵だったのだが、芸術的だと数人から褒められる。昔何十枚もの紙芝居をぬっていたが、その感覚がまだ自分の中にあったのだ。

 午後は、主人が仮病ではなく、いま腕やひざが痛いので、8本のタイヤを小屋にしまう。猫車で一本ずつ運んで簡単なものだった。何でも工夫とやり方次第だと思う。大変だ大変だと思うのは、やり方が悪い、要領が悪いからなのだ。周りをすこし片付ける。

 

 長橋台の彼女に迷ったがクリスマスカードを書く。

 

 別ブログ、誰かの事を書くと、必ずその相手に、悪戯メールが送られているのを直感。これはもう数か月まえから気づいていた。そういう事ができるのは一人しかいない。しかし、神はわたしに力を与えてくださる。私はたいしたものではないが、神の怒りが私を覆い、神が生き抜くための、勝ち抜くためのかどうかはわからないが、生き抜くための力をくださる。それが私にはわかる。

 

お返しせねば

きのうの日曜日、朝5時起きでいつも日曜日にだしているブログ記事を書く。

10時半に間に合って教会。午後トーンチャイム練習。1時半に退出し、2時に間に合って、町屋の赤い風の朗読劇へ。Mが、先に行っていて、席を取り置いてくれる。彼女にはほんとうに頭が上がらない。それが、始まったとたん、疲れがどっと出て、座っている自体が苦しく、舞台のセリフがまったくはいってこない。かなりの我慢。彼女が心配し、出ようかと言ってくれたが、我慢。終わって展示室に移動したところで、何とか回復。結局チケットを買った分は、まるまる損失。ま、雰囲気を味わっただけでもと思いなおす。この脚本となった原作は、ネットでも買えるだろう。安価で手に入るという気が。主人が来ると言っていたが、展示室で合流。そこに、その前の日に会合であった女性が来ていた。花巻からわざわざいらしたようだ。ファルで牛乳を買ってから帰宅。さすがに疲れ、夕食支度は頑張って、あとは休息。

 

きょうは午前中は天気がよかった。土曜日に手袋を落としたのだが、Gさんが拾っておいてくれたと昨夜電話があった。公民館で取り置いてくれるさ、と思っていたのが、Gさんに、とんだ迷惑をかけることに。あまりの天気の良さに、彼女に散歩のチャンスをと思い、T子さんを誘tった。きょう10時ごろにGさんの住む紺屋町のライオンズマンションのエントランスで呼び出し、手袋を受け取る。何と、会の事を書いた本と干し柿を頂戴し、恐縮。肴町で買い物。主人が床屋を終え、眼科を終えて、これまた3人合流となる。12時半かに帰宅。

 午後、民生関連でFさんがいらっしゃる。何と、箱入りのものを持ってらっしゃった。これには困った。先日、救急車で同行、付き添った謝礼だという。いくら辞退しても、強引なまでにして置いていかれた。それ相当のお返しをと考えて、コメ10キロをあとで差し上げることにした。

 

身内からのお歳暮が次々に届いている。恒例の物々交換のようなものだ。しかし、これがなくなれば、電話で話す機会はもっと減るだろう。

 

 

 

正解だった

M、「皆さんに何か買っていきましょうよ」。それでナナックに立ち寄り、菓子折りひと箱。1600 円を折半。会は、1300円の会費。300円は資料代。7時に話が終わり、その後は年一回の芋の子会。8時に失礼して帰宅。帰り道、彼女が「私はあなたの付きそいなの」と。「もしあなたが行かなかったら、私は何にも行かないよ」と私。彼女はこうも言った「あなたの学びのために協力しなくちゃと思って」。こんなに有難いことがあるだろうか。彼女のためなら、彼女が行きたいところがあるなら、私は多少の無理をしてでも付き合おうと思う。私は人に言われたくないと思ってきたけれども、言われないために隠しまわって、不正に資料や金や、物を受けたことは一度も無い。感情が多く誤解されることはあるけれども、何かを利用して人に何かをやらせるということもしたことはない。それを、憎しみのために、真逆にひどくいう輩もいるのだ。だから絶対に人の誤解を受ける行動はしてはならない。私の行動には、必ず証人がある。必ず立証できるようにしてきている。そして、そうしたことは正解だったなと思っている。

人づきあいは不得手

きのう13日は、地域女子会のランチ会だった。11時集合だが、10時に近所のMさんと歩くことにする。45分で盛岡駅に到着、メトロポリタンのジュエンに移動。帰りも歩くこととし、彼女の好きそうな店にも付き合う。帰宅4時近く、もっとはやかったような。

 

きょう14日6時、クラシック倶楽部が終わる時間に「たのみなさい」という声が聞こえた。それは心の中で聞こえたのだが、これがけっこう知名度のある方の声。しばしば聞こえるのだ。心の中で。それで、ああ、いまこうしているのか、ああしているのかという推測をするのだが。事実とは相反することを喧伝されているかもしれないなとの危惧をもっている。

一連の調べや書くことを他人に頼んだことはない。基本的にぜんぶ自分でやってきている。電話をして聞いた方がはやいかと思うこともあるが、それをすれば、その後の付き合いに煩雑さがでることになり、他人との付き合いが下手な自分には向かない。すこし時間がかかる、面倒だと思っても、自分でやるに限る。人づきあいが悪い、何だ!と思われることもあるだろうが、もうこの齢になれば、人づきあいは疲れるのだ。齢相応の疲れをいま感じている。

 

いま自宅療養の方がいらっしゃるが、きのうは行けなかったが、きょうは除雪に行かなければ。たぶん娘さんが来ているかとは思うけれども。

 

 

講座

朝から雪かき。近所の方のお葬儀、これは前のページに書いた。故人となった方、すばらしい日本画を描く方だった。アマリリスの絵が忘れられない。こんな絵なら部屋に飾りたい、そう思った。以来、毎年アマリリスの球根を育てたが、なぜか冬を越せなかった。扱いが悪いのだろう。アマリリスはやめてしまった。

 

午後は買い物。ホーマック。息子の友達だった方がいらっしゃった。声をかけかねた。やはりかければよかったと後で悔やんだ。気後れしてしまうことがある。

 

7時に間に合ってキャラホール。主人が珍しく付き合ってくれている。夜だから事故でも起こされてはという心配もあったろう。講座の内容はとてもよかった。聴いているうちに眠くなるような講座ではない。あと3回だ。帰宅は9時近く。主人の友人だという方が来ていた。

葬儀

きのう11日は、午前、地域のサロンの日にちを勘違い。午後は電気工事やさん来る。主人がいた学校の卒業生。

原稿書き。3時には送信。

でたばかりのTさんの児童文学書を読む。

 

12日のきょう、大雪がふり、朝から雪かき。タイムスから写真未だ来てないと。慌てて9時前に送信。

近所の音楽のMヴァイオリン教室のお母様の葬儀。12時から。法恩寺

午後は次の原稿をやりたい。