9月は

きのう9日、日曜日は、午前教会。会員の皆様に会うことができよかった。自分がいま教会にいることが、果たしてどうなのかと思われることもあるが、この教会を去るわけにはいかないのだろうという想いがある。複雑なところだ。

 

ずっと臥せっていることが多かったこの1週間、もう風邪は沈静化した感じ。体力がいまいち。運動不足がたたっているようだ。昨夜は読書。堀内敬三の下巻を、何といつか図書館からバイクで帰る途中で、あろうことか落とした、それしか考えられないのだが、この貴重な本に住所氏名を書いていたわけでもなく、交番などに届こうはずもなく、価値の分からない人にとっては、ただの汚い古本でしかないのだ。仕方なくまたネット購入。しかし、よくこれだけの記録をのこしてくれたものと感じ入りながら読み、また真夜中2時ごろに目が覚めて読んだ。真夜中にけっこう目が覚めてしまった。マイナーなことは考えないようにと思っても……それでも薬で頭が朦朧とまではいかないが、ぼんやり加減のほうが、さまざまなことに悩まず、楽だったように思う。

 

きょうは10日、月曜日。こんな雨模様の日にも、もう出勤する方々はそれぞれの職場に落ち着いているのだ。すこし歩きたいが、この天気では。水曜日は、12日で、亡き母の命日。わたしを抱いたまま逝った母だ。もう母の2倍近く生きてしまった私が、まだたったこの程度で申し訳なく思う。しかし父は、もし生きていたら、私が文学というか、どこかに書くスペースを得て、やっていることを喜んでくれたに違いない。この12日は新生記念日、15日は洗礼記念日だ。この9月は息子たちが、洗礼を受けた月でもある。