三日分記録

12日、日曜は、朝8時半、宮古市に出発。主人が運転。10時半ちょっと過ぎに宮古コミュニティchurchに到着。私だけが下りて教会に。もう説教は始まっていた。大変良い説教だった。終わって12時15分までティータイム。15分ちょと過ぎに、主人が迎えに現れる。それからドラで食事。終えて磯鶏幼稚園に向かったが、早く着き、3時までの間、隣の会館でやっている宮古高校のブラバンの練習を聞く。3時少し前に幼稚園に移動。5時までフルート演奏を聴く。あとは一路盛岡へ。途中やまびこ舘休憩。

8時着で、次男が母の日に置いていった手紙とケーキを見る。感謝感謝。

きのう月曜は一応原稿書き。塀の外に落ちていた自治会関係の書類を、お向かいの方が届けてくださったが、Fさんに問い合わせたところ、Oさんが落としたものではないかということで、届ける。M市のOさんから便り。写真のお礼。介護が大変らしい。

きょう14日、午前中、ナス、トマト、ツルムラサキを各一本裏庭に。苦土石灰も撒く。Kさんから電話。もしか誰かに頼まれて電話しているのじゃないか、そんな気も。

午後は原稿仕上げ。ベストとは言いにくいが送信。これで晴れて自由。

 

贅沢時間

10日、近所の方々3人と11時からランチ。3時M子さんに同道し絵画展へ。5時帰宅。時間のぜいたくかとも思うが、何か自宅に戻らず彼女たちといたい気分だった。資料の目通し。

10時就寝。

11日きょうは、あすの外出、主人に行ってくれるようにとの沿岸へ。お土産調達。午前は説教の起こし、これがけっこう大変。いつまで続けられるやら。

夕方花の写真どり。夜は提出原稿をやらねば。

引き継ぎ

10時から引き継ぎ。2軒に後任者と共にあいさつ回り。
昼過ぎまでかかったが、この役目を退任できたことがまだ信じられない。

Nさん宅で、ディーサービスなどの先を公開してくれるなとの達し。いかにも。もはや過ぎたことだが、ちょっと片手落ちであったかと。本人にしてみれば、自分の弱みを他人に知られたくないというところか。そうだろう。

J子先生も気がかり。訪問せねば。

山積

4日までしか書いていなかった。

5日は、日曜日。午前教会。すぐに帰宅して、長男はでかけていたような。

6日は、11時から民生関係の方々がランチに誘ってくださった。その後は、主人と長男と3人で、赤レンガ館のコンサートへ。マタイ受難曲。取ってもらった席に着くのに躊躇、ちょっと申し訳ないような気が。何と指揮者の真ん前というか、真後ろ。自転車で駆けつけたために、雨に濡れながらまた自転車で帰宅。

長男が7日に帰るまでは、それに合わせて行動していた。何れ家にびっちり。

7日は駅まで送り、その足で図書館に本を返却。それから入院中の友達が、自宅の花を見たいと言っていたので、上田を回って、庭に入り、写真を10枚ばかり撮り、帰ってから直ぐに印刷して手紙を投函。

きょう8日、午前中教会。ちょっと大変だなと思いつつ、バイクで教会へ。Iさんにパンを頂いて帰宅。やるべきことが山積するも、どうしても手に着かず、2時50分にT子さんを誘って、Oさんの絵画展へ。写真屋と、T子さんの郵便局での用足し。夕方5時帰宅。
病院の彼女から電話と聞き、手紙が着いたなと。
いつも両Sのことが頭を離れない。ノイローゼ気味。負けてはならないのだ。こちらは何も悪いことはしていない。していないのをつるし上げようとしているに過ぎない。自分たちの利益と名誉を守ろうと必死になってるだろう。

 

遊ぶな!

きのう3日、記事が出る。主人の校正。あくまでも校正だけ。午前、掃除。家事。午後2時から主人と長男3人で大迫方面ドライブ。東和町の人出と変わりように驚く。

帰り花月堂でケーキを食べ、5時ごろ帰宅か。夜7時半ごろ、民生委員のキャップから電話。まだまだ仕事めいたことは続きそう。

 

今日4日は、自宅。午後からは何も。すこし歩いた方がいいとは思うが。しかし遊んでしまえばただそれだけのことだ。

食事会

平成最後と世は騒ぐ。皇后美智子妃は尊敬に値。その影響であるか、天皇のお人柄の美質が美智子妃によってより国民に寄り添っていただいたか。天皇制の如何はともかく、象徴という摩訶不思議な籠の鳥のなかで、誠実に公務を果たされた感じが。これで何とかと仕上げたつもりの原稿、そこで一仕事終えてからまた見直し手直しし、夕刻6時ごろに送信。会社のお客様用受信口に送るようにしておいてよかった。

 平成の最後は、結局音楽アラカルトを聴きまくっておしまい。

1日は午前、花壇をすこし。花の種を種苗トレーに植えこむ。144株、サルビアマリーゴールドなどができる予定。簡単な花なので、ほぼ9割は発芽するだろう。

それが午前中、教会であることをすっかり忘れていた。時期を逃さずはやくしなければと焦ってしまった。週に2回の出席は、正直ちょっときつい。休む間もなく何かを次つぎにやっている。日曜は欠かせないけれども。午後からはまた残務整理。福祉票に書き込む仕事。

 2日のきょう、極秘書類を次の役員に手渡す。きのう電話したが留守だった。やっと今朝電話が通じる。引継ぎにこの書類の説明だけで1時間半かかった。私が前任者から引き継いだ時には、薄いファイルと、分厚いカードを手渡されただけだった。それでも。まだカードを取っていない世帯を全戸書き出して手渡した。まだ重要書類があるが、これは市の一斉調査が始まるひと月前のほうがいいかと思う。
 まだ自分が辞めることができたことが信じられない。未来永劫引き受けてはないとあきらめていた。こういうときが来るとは! 中には40人に交代を頼みまわって、40人に断られたという方がいる現実もあるのだ。ただ交代してくれた彼女から依頼があったら、いつでも手伝おうと思う。

 今夕は家族そろっての食事会。直前まで掃除、片付けをびっしり。その後スーパーへ食材の買い出し。長男が釣りに行った知人からいただいた大きな魚2匹、あいなめ、きのう刺身にして食し、きょうはお吸い物に。エビフライ、ホヤの酢の物、ひじきの煮物、山菜の天ぷら、ほうれん草の和え物、刺身5種。1時間で調理。アルコールは誰も飲まない。オレンジジュース。ただ息子たちはこの連休に一度は外で飲むつもりかも。

 平成の終わりに、令和に届くようにお手紙をくれた方が二人いらっしゃった。どちらも心のこもった内容。何か不思議な感じで読み返した。お二人のご努力、ご苦労がどこかで報われるように祈る。彼女たちが心からわたしの幸いを願い、私のために祈ってくれたように。

 次男は食事前にここでタイヤ交換をしていた。

 

残務整理

27日土曜日は、宮古市からOさんが来盛。息子さんに先立たれてからもう9年に。はやい。やっと息子さんのものを片付けられるようになったとか。本の間から、何と、キリスト教式葬儀が出てきたとか。あれでよかったと。

きょうはお嬢さんも朝早くに東京へ。ゆっくり話すことができる珍しい日なのだ。10j痔に迎えに行って、県立美術館に案内。タータンチェックと萬の学芸員の解説を聞く。

食事を終えて、野の花美術館へ。駅まで送って、結局4時近くに帰宅。忙しいさなかの対応だったが、これでよかった。

なぜこれほどまでに彼女が苦労しなければならないのか、神よ、わかりません。

日曜日は教会。花を立てる係。朝食前に散歩がてら最寄りのスーパーに花を買いに。昼、直帰。午後福祉票などの残務整理。

きょう月曜、朝に駅に長男を迎えに行く。朝市直行。コーヒーを飲む。山菜購入。朝食。庭をすこし。午後息子の墓参りに付き合う。区界まで足をのばす。景色がいいと喜んでいた。残り時間で原稿書き。何とか。

残務。7時から9時ごろまでかかる。

明日は雨か。