思い通りにならないとき
4時には目が覚めている。
長男、また1ステップ上に。このまま巧くいってくれることを願う。正義感あり。不正を嫌う姿勢ありで、公共の利益を考えている。以上の理由で存在価値はあるものと思われる。主の加護を祈る。
午前は瞬く間に。玄関先に、地域のことで近くのSさん来訪。Nさん宅の片付けに関して教えてくれる。本格的な片付けがなされている由。
午后、T子さんと共に書家、沢村さんの展覧会を見る。墨の具合までが賢治的。4時近く帰宅。
夕方血圧が上昇。これは冷えというよりも、感情が災い。「死んでほしい」という声が。憎むもにくんだもの。自分の思い通りにならないときに、憎しみがわきあがるのだ、とは、大学時代の心理学、哲学教授のことばだ。
土のすばらしさ
インフルエンザ猛威。けさは氷点下8と冷えたが、主人が用事で外に出た間に、戸をあけ放って外気を入れ、掃除機をかけた。
それからお祈り会に。教会では3公開出席を強調。しかし、このお祈り会も、日曜礼拝は守るべきとは思うが、週2回の教会出席は、なにか多いという気が。もっとも親しい親族にさえ、そんなに会ってはいないのだ。ただ、教会の人数が減ったこともあり、出席している。戦後の義務内容をそのまま継続している。聖書的にいったらどうだろうか。12時に教会を出て、途中でガソリンを満タンにして帰宅。昼食後、畑の大根を掘り起こすというので、様子見に同行。表面には積雪。しかしシベリアの凍土とは違うのだ。どれぐらい表土が凍っているかと興味深く見ていると、せいぜい10センチ未満。容易にさらさらの土となり、大根が新鮮なまま出て来た。土の力に驚く。不思議でならない。大根4本と、人参3本を持ち帰る。途中スーパーに立ち寄ったが、ポイントがたまっているということで、1500円の買い物券と交換した。それが、一度カードにストップをかけていたらしい。財布を紛失したと思ったときのことかと思うが、すっかり忘れていた。簡単に解除できた。帰宅して、すぐに入浴。夜は寒いので、早めに。そのあと洗濯を。夕食やら何やらで、食事を終えると7時過ぎ。後始末、洗濯物干しで、いま20時過ぎだ。
敵は、どんどんわたしを切りまくっている気配だ。私がどんなに酷い扱いを受けたかを知らない人が聞けば、私を、何てひどい奴と思うに違いない。しかし、その人と面と向かったときに、なぜ動揺し、重心をうしなったようになるのか。自分のうしろめたさを自覚しているからなのだ。
しかし、怒りを持ち続けることは、よいことではない。土がいい。土いじりがはじまれば、余計なストレスは土に消える。
立派な犯罪
きょうの日記はもう前ページに書いたが、書き忘れたことがある。
文芸誌の原稿、どうしても書く気になれなかった。
前回の、連載の紹介をださないのを見て、というよりも、そのたびに、なぜ?ということが続いた。そして、何らかの報酬と引き換えに、そのようにやらされていることが見えてきた。報酬をもらって誰かに良いプラスになることをしてあげるなら、それはそれで否定すべきことでもない。しかし何らかの見返りを受けて、ひと一人を追い落とそうとしたり、立ち行かなくなるように謀るなら、それはもう立派な犯罪である。
思いがけず用事が
朝のうちに、地域の方の家の前を除雪。午前は11時から同期生のOさんにタリーズで会う。あまり団体にも関係しない方がいいということだった。理由はわかった。彼女の近況などを聞いて、けっこう忙しくしているのだなと思った。
昼弁購入。主人は午後からふれあいランド。
午後になって、隣町のNさんが見え、入院中のNさんの面会に同道してほしいということで、彼女の車でK病院へ。私としては3度目の見舞いということになる。インフルエンザ流行で、先ず一階で、体温を測らなければならなかったらしい。すぐに3階にあがってしまった。ボランティア団体の退会を了解してもらうためだった。行く前に入院中のNさんの兄がNさん宅に掃除に来ていた。帰りにまだやってゐたので、あまりにひどかろうと、手伝いを申し出ると、介護支援センターが掃除に来ることになっているということで、安心する。何しろこの方、85才、認知症の奥様も介護しておられるのだ。
かえって直ぐに、Mさんから電話が入った。元気だった。娘さんと買い物だったらしい。来月、検査入院で一週間不在となる由。
17時のいま、やっとこたつに。
居ない間に灯油の配達があった。
主人の文学の会の方から電話。
のこす2か月
28日(月)。16時頃に自宅療養されている方のお宅の雪かきをする。そのあと、アパート3軒、新聞などがたまっていないかを見回る。入院中のNさん宅異常なし。帰りにKさん宅に寄り、こんどの日曜日の教会はいかがかとお誘いする。まだわからないと。
あとは終日自宅。なんとなく活字と暮らした一日となった。
得体のしれない、何か怒りが心にある。
自分のできることと、できないことをはっきりと区別し、できないことをやっていると、必ず失敗がついてくるわけで、一つ失敗があると、他にどんなにいいことをしたとしても、それらはみなチャラになってしまう。世間のものの見方はそうだ。あの人はこれはできないけれども、これはできるじゃないかとは見ない。一つ失敗を見て、あ、あいつはダメだ、とこうなる。弱い者にとっては厳しい。
しかし、とにかく残す2か月、何とか頑張ろう。
教会総会
27日、日曜日、いつもより30分はやく9時半に出発。教会総会だ。花を飾る役目もある。13時に終了。おにぎり一個、缶コーヒーで昼食。マリオス1時半ちょっと過ぎ到着。コンサート。二階のいちばん前の席が空いていた。何と何と元気をもらった悲愴だった。K先生、80うん才で頑張ってらした。
トイレでAさん、Mさんに会い、送るといったところ、これからJさんとお茶なのだとか。この地域のFさんを見かける。
4時終演、4時半帰着。お話しノート打ち。
平気なひと
きのうは検診、水晶堂ビルに。
帰りは、障害者の方々で頑張っている番外いちばでランチ弁当を買って帰る。
隣の町のNさんが亡くなった由。あの書斎にはもう人がいないのだ。存在が消滅する、それが誰であれ、やはり重大なことだ。
26日、けさ、望みはみな叶うという意味の賛美歌が通った。しかし、今日の文学の会合では、果たしてどんな始末になるやら。
世の中には、善人然として、とんでもないことを平気でやれる、そんな人間がいる。