終日作業
きのう12日すこし遅いと思ったが、出してスッキリしたいので、原稿送信。
きょう13日は、午前ガラス拭き、午後家周りと庭の草取り。夕方4時まで作業に没頭。中途、通りかかったアパートのSさんと、ご主人ご病気のSさんと立ち話。
夕餉の支度がある。
天網恢恢疎にして漏らさず
11日、日曜日は、ガラス拭きをしてから教会へ。礼拝後食事を摂ってトーンチャイム練習。帰宅3時。疲れているのか何なのか。休息。夕食後、それも9時過ぎてから資料読み。就寝11時半。
12日、月、予定なし。きのうの疲れか何なのか。
世の中の遊び人たちは、実にうまく人に知られないように動いていることに気づいた。世間にわいわい騒がれているのは、むしろ素朴な人たちなのかもしれない。下手がゆえに話題に乗せられ、不利益をこうむってしまうというのだ。しかし、天網恢恢疎にして漏らさずだ。神はみな見ておられる。
新聞休刊日。
人におもねるのは止そう
終日家にこもるが、午後は原稿の初めの400字ほどを決める。これを決められれば、あとは自動的にできたようなもの。集中力は必要とするが。ただ、これは神によって書かせていただいているという感じが。神の助けによって書いている。華々しい成功などはもう考えない。地味にただ1冊が図書館にのこればよい。パーティーもこれまでは、開く方々を羨ましいとも思ったが、もう自分にはそれはないと納得している。ここまで仲間たちに離反、というよりも、ある一定の人物になにがしかを受け取って意思決定をしていることに肯けない。今後、どんな酷いバッシングがあるかもしれないが、わたしは、そこを忘れずに淡々と進もうと思う。何が欲しい、かにがほしい、こうありたいなどと思わなければ、人におもねることもない。
さっきの宇野昌磨の演技がすばらしかった。
ひとこと
午前は庭のテーブルで、きのうアマゾンから届いた本を開く。午後は近所のMさんと南昌荘。盛岡歴史の展示物があるとおもっていたところ、どうもきょうではなかったらしい。まあ、紅葉を見にということなので、よしとする。昔の善隣館で買い物。彼女が行ってみたいという機屋でコーヒタイム。一つでも彼女の好きなことに付き合うことでできてほっと。その帰りにIさんが個展をやっている画廊にふたりで立ち寄った。私がついIさんと長話になってしまう。お孫さんの迎えがあるとかで、私より15分ほど先にひとりで帰られた。5時近くになり外もようよう薄闇が。家に近づくとOさんが、主人に、私がどこに行っているのか、何時に帰ってくるのかを聴き、ちょっと玄関先、外の方で待っていたようなのだ。先ほど帰ったばかりのMさんにイソギクを見せてもらいたくてMさんのお宅がどこかを訊くためだったようだが。
そこでもつい長話。急いで夕食支度にとりかかる。
きょうはよく歩いた。体重が減ってくれるといいのだが。
それにしても立派な銀杏を二か所で見ることができた。川岸から見る公園の紅葉も記憶にのこるものだった。
「あなたには才能があるから」と励ましてくれるMさん。このところどんな誉め言葉にも鈍感になっている私を、しみじみと有難いと思わせてくれたひとことだった。
姉たちはクルーズ
午前、柿採りOKの電話。手伝うことに。12時まで畑。午後は、昼食を出して休憩。昼寝。3時から野菜の整理。洗ったり、煮あげたり、漬物にしたり。それが夕食づくりとなり、6時の食事まで延々と台所。片付けなどが終わり8時。いま8時半。
お隣の畑の女性はいつも一人で来ているが、あとは、みな奥様もいらっしゃって、楽しそうにやっている。主人も一人では、ちょっと張り合いがないのかも。柿は焼酎付けの予定。きょうも何だか意味がないわけではないけれども、自分からいうと、さして重要なことを成し得たわけでもなく終わるという感じが。きのうは焦りを感じていたが、きょうはもう諦めの境地か。
姉二人、きのう船上から電話がきた。一週間のクルーズから、今晩帰るはず。楽しんだことだろう。
久方ぶりに東京の甥の顔が浮かんだ。