何とかクリア

夕べは脱力感で原稿書きができなかった。しかし、疲れ果てた脳裏に「勝利」ということばが過った。なぜ? こんなに疲れているのに、何が勝利なの? 見えないものに問いかける。

そして今日が原稿締切日。快調というわけにはいかないが、とにかく資料を出す。念頭にあった写真、プログラム。この2枚をめぐって何とか乗り切れるだろうと。

午後は民生の会議があったが、帰宅してから、Wさんにできた写真を届け、会長代理に頼まれてきた書面を投函し、I会長宅に、活動報告書をだして後に原稿書き。6時ごろの送信となったかと思う、しかし今回も何とか提出できた。

夕食の片付けも終えて、今は、あまり本調子ではないが、ゆったりした心持ではある。

疲弊

2日(日)、今朝6時に、民生を退任したい旨を自治会責任者に申し入れる。

午前9時に地区行事に動員される。終わったのは午後2時か。それから調査関係で、3つの区域の住宅確認。疲れていたが、日曜日でないと人が不在であるかもしれないと思い。

終日ひどい鼻水。頭痛。けだるさ。

3日のきょう、最寄りから薬を出してもらう。午前、市への提出書類作成。1時近く投函。さて昼食を出さねばと思っていたところに、T市のTさんから電話。なかなか話の中断個所がなく、困ったと思いながら応対。忙しいからといっても切ってくれない。彼女も病んでいるのではという気が。悪いと思ったが。謝りながら電話を切らせてもらう。昼食をやっと出す。

1時間昼寝。薬力でこの記録を書いている。

入院中の彼女からも℡あり。

とにかく来春、年度替わりに自治会役員をやめることができるようになった。疲れた。ほんとうに疲れた。

原稿書きは夜にずれ込むだろう。

光はあるさ

1日は、何から始まったか。午前の読書しながらの洗濯、片付け。11時ごろから市の関係の仕事、これが午後2時まで。それから食事を出して、また市の書類関係に目を通して、一休みしていたところ、救急車の音。立場上、駆けつけると、地域のある方に異変あり。救急車、パトカー、消防車各1台路駐。名乗ると、立会人として写真を求められる。ともかくも助かりそうなのでほっと。

 

いま夕刻の5時半。気圧のせいか後頭部が重いが、ともかくも明るいことを考えることに。延々と咲く明るいヒマワリ。雲を突き抜ける光。そう、光はあるさ。

台風21号

30日の午後7時からの役員会をすっぽりと忘れていたことに、何と今朝の6時に気づく。昨日夕食の後片付けをし、ああ、きょうも終わったとほっとして本を開いたのがまずかった。そのまますっかり忘れていたのだ。今朝慌てて代行にお詫びのメールを入れる。ついでに、民生を退任したい意向を伝える。いまならMさんが代わってあげてもいいと仰っている。これを逃すと、もう倒れるまで辞められないかもしれない。ただ、いま彼女がやっている役目をやってくれる方を探さなければならない。

 

もう31日。なんという速さ。台風21号が来ている。地球人口の何分の1かが一挙に失われる事態が近づいている気がしてならない。もはや、政争で、経済優先で、核で明け暮れる失態を演じているときではない。

 

きょう電話が3件。いたずらのような気がする。AとBが親しく、Aの関係者にBが勝手にAの携帯かスマホを使って電話をし、受けた相手の反応を見て楽しむ、そんな図が浮かんだ。なりすましだ。凡そ12年前も同じようなことがあった。このときはパソコンに入るメールだった。この頃、毎日のようにパソコンにアダルトが入ってきたのも思い出す。不愉快極まりなかった。バチバチと消しまくった。今思うと同じ人の悪戯だったようにも思う。どんなこともありうる世の中だ。まさかと思うようなことを平気でできる輩はいるのだ。それでも、善良な市民としてふつうに暮らしているというような。このアダルトが去年だったろうか、また入るようになった。コメントとして入れてくるのだ。これも消しまくっているうちに入らなくなった。

 

東京の姉に電話する。外に出ると、いきなり恐ろしい雷鳴がして、慌てて家の中に退避したらしい。

 

備忘録のはずが、

午前は掃除。とわざわざ書くということは、ずっと掃除機をかけていなかったということでもある。

午後は、庭いじり。それとお茶の会の回覧プリントづくりと50枚コピー。

以上できょうはおしまい。

夕刻に嘉藤治関係のT子さんに電話。優しそうなきれいな声の方だ。

返却お待たせ、ごめんなさい

アマゾンから本届く。

 

午前中は、家事、雑務、別ブログ更新。ブログ書きもほんとうは時間のロスなのかも。

午後は、北海道のSさん一家のお子様5人に手紙を書き、ノート返却。遅くなってしまった。待たせてしまった。感想は随時付箋を貼っておいた。これもまたけっこうな時間が。しかし、書けるお子さんにばかり手紙をかくわけにはいかない、ほかの子たちだって、みないいお子さんたちなのだ。同等にことばを連ねたい。

 

いまから夕食したく。もし疲れなければ、今日来た本を読みこなしたい。ま、どこぞの教授が書いたものなので、ネット購入ではあるが、まったくの期待はずれにはなるまい。

久田真紀子「14歳ホステスから年商10億のIT社長へ」PHP研究所

きのう、29日は、午前中、9、10月にかけての市のアルバイトの説明会。

教会からいえば、祈祷会出席をしてほしい。3公開出席を守ってほしいのだと思うが、ここのところ、何か疲れている。教会に行かねば神はいないというのもではない。自宅にいても神はいてくださるもの。しかし、教会で育ってきたことも事実で、ここはそのたびごとにジレンマとなっている。

帰ると、Fさんから、お茶の教室で、ボランティアで、お茶会の提供をしたい意向がある電話があった。半年間はいきいきサロンを休止とした自分としては寝耳に水。ちょっと大変だなと思ったが、案内、段取りをせねばならない。人様の世話は大切だが、このままでは、まとめるものもまとめられない、つまりは、人生に禍根をのこしそうである。それでも人の楽しみを作り出さねばならないか、その価値はわからないではないが、大変さを覚える。つまり、それもこれもをこなすには、自分の能力を超えるのだ。

 

昨日分で記入漏れをここに追加。

1時半ごろにか、主人が煙山のひまわり畑を見に行くというので同行。40万本といったろうか、実に見事だった。

 

昨日の夕方、運動不足を覚えて夕方4時から1時間歩く。東山道に行ったところ、一冊の著書が目に留まった。以前であれば、知った方が本を出版していたりすると、ちょっと寂しさを覚えたものだが、いまは誰が何を出していても、ああそうかと思うぐらい。競争心がなくなったものか、諦めか、何れそれが闘争心となることはない。出版はどうしてものこしたものをしなければならないように思うし、自分の場合は、いまの資料ということだろう。そのほか自分の手持ちに出版費をかける価値はないように思う。ひとつには、この世の中は、そう長くはもたないぞという危機感もある。自分の誇り見栄のために金をつぎ込むべきではない。芥川ほどの、賢治ほどの才能は自分にはないのだ。

思いがけず、手にした一冊

久田真紀子「14歳ホステスから年商10億のIT社長へ」PHP研究所

大平光代の実業界版といったところか。久しぶりに元気をもらった。こんな人が滝沢に所かまえて会社をやっていたのだ。多くの人たちの励ましになる一冊だ。

 

なんだかんだとまたアマゾンに3冊ばかり本を注文する。明日には来るだろう。

 

 

 

心も

昨日は、27日。長男が今日いっぱいの休日。千代田区でひどい雨。練馬で雷雨だったろうか。夜10時半のバスで帰るという。

午前は、墓参り。畑見学。午後は家で休息。

10時半に間に合って送っていく。

 

きょうは28日。昨日朝と、今朝知った方がTVに出ていたが、妖艶な眼色は見るに堪えない痛ましい感じがした。

 

きょうは、3軒隣のT子さんと格安の美容院へ。主人が1時半に出かけるというので、間に合って帰宅。それが送迎は断って、バイクで出かけてしまった。いまの3時に帰宅。

これから荷物を発送しなければならない。

 

金では何が買える?野菜、肉、魚、家、車……そして、金で買えるのは人の心、この2日間でそれを目の当たりにする。そして買う側は、それをよく知っている。だが、落とし穴もあるだろう。もし出資者が誠実な人物とすれば、何れ身代まで乗っ取られることになるという予感が。警告しようにも手段がない。お金とは恐ろしいものだ。