ナスタチウム健闘
きょうは、絶滅しそうな水仙の球根、きのう掘りあげたものを植えこむ。いつも掘り返してから新たな場所づくりが大変。
昼すこし前に、主人がズボンを買いたいというので、付き合う。が、気に入ったものがなく、結局買わずに食材の買い物だけをして帰宅。
取材は、記念館に問い合わせた結果、専門的な写真どりであれば、願い書を出してほしいとのこと。後日に延びてしまった。
紫式部の紫の実がたわわにつき、庭仕事をしていると、ギンモクセイの香りが。ことしはナスタチウムが大健闘。そして植えた28株のビオラが、寂しい秋を飾ってくれ、それにホトトギスが咲いている。一角にまとまって咲いているのはやはり訴える力がある。あまりこじんまりと抜きたてないことにしよう。夕方までぼーとしてしまった。何とか勢いをつけて頑張りたいもの。
備忘録
18日は何をしていたっけ、何のことはない、昨日のことではないか。右側のぶどうの木を剪定、もう数年も前から気になっていた亡き舅の作ったぶどう棚を解体。孫を喜ばせようと植えた葡萄の木。棚が錆びたり倒れかけたりして、ちょっと惨憺たる有様。棚を作るのも大変だったろうと、その労に感謝しながら解体。来年、葡萄がならなかったとしても、このさい樹の形を整えるために思い切って荒療治。さてどうやって新しい棚をかいたものか。これに一日を費やす。それこそ朝から晩までみっちりと取り組む。
買い物にも行かないでしまった。
きょうは地域のサロンの日。16人集まる。ランチ。
午前中は、ゴミが目立ち、掃除に動き回る。やはり家にいるとこんな有様だ。
昼からがランチだった。皆様が楽しそうに帰られた。
家に帰りやらねばならぬことは多くあるのに、手につかず。夕方、裏の庭から、ツルムラサキやトマトを摘む。と、その時、いま救わねば絶えてしまう水仙を思い出す。ことしは咲かなかった。今年の内に球根を植え替えねば。それでスコップで土を掘り返す。上に草を捨てらりしたために、随分と深くなっていた。よくも昨年まで頑張って咲いていたものだ。
前回資料館へいったときに、ケースから出して写真どりするのが躊躇われた。それでまた撮りに行かねばならない。主人が一緒に行くと言っている。近くの友人に頼んでいたのだが、自分が行ってくれる気になったようだ。ただ、主人がいくとなると、わたしはどうしても気を遣ってしまう。こうした方がいいんじゃないかと言われると、何か、そうしなければ悪いような気がして、また意見を言い合うのも面倒という気持ちも働き、そのようにしてしまうのだ。しかし感謝するべきであろう。何しろ2時間の山道だ。
何のためにこれを書いている? そう、備忘録だ。何月何日何してたっけ、記憶が損なわれた分を補填するための備忘録だ。
そういえば、きのうはやたらに電話が多かった。友人のひとりは、公明党にがっかりしたと怒りまくっていた。もうひとりは、入院中の友達から。あとは、選挙、廃品回収の電話、主人の友人からが二件、そのたびに作業を中断しゴム手袋を取りながら受話器に駆けつけるのだ。
本を読まねば
日曜日、15日、10時から防災学習。消防署員の消火訓練、災害時クイズなどがあった。また数々のグッズが紹介され、ダンボールの椅子づくり。おにぎりづくりなどがあり、けっこう盛り上がった。1時15分退出。
2時に某デパート。一階喫茶でOとKに会う。Kから本を借り、Oに弾いて欲しい楽譜をわたす。賢治のはなし、友人関係のはなしで夕方5時までも居座り、これはマズかったかなと。地下で買い物をし、6時帰宅。夕食後は原稿の下調べ。夜中12時まで。書く事自体よりも、資料に当る時間長し。
16日は、午前は原稿の下拵えと1200字に。午後は飽きもせずに花壇づくり。
17日のきょう、午前は球根をあらかた植え終える。植えることよりも、植える場所づくりが大変だった。この大変さを乗り切って、あと3年は新しい庭の景観を楽しめそう。夕食直後、1200字を800字に削って送信。
ブログ書きもけっこう時間を喰う。本を読んだ方がいい。というよりも、読まねばならない。読まねば先が続かない。
役目がらから生じるトラウマ
けさ4時。病の人たちが気になり起き上がって別なブログを書く。
午前いっぱい草取り。ちょっとやりすぎ。
昼には、産直。荷物発送のため。引きこもりの近所のTさんを誘う。
午後は近くのおにぎり屋さんに行く。近所の方に届けるため。
すこしだけ、ノート作り。
主人が畑から帰るのを待って、荷物を発送しに行く。
今しがた、夕食の後片付けも終わったし、さて、原稿書きだ、と資料を捲り始めた途端に、T市にいる高校時代の友達Kさんから電話。日曜日の午後Kデパートの喫茶でだそう。Oさんと3者茶会だ。すぐ二階にあがった途端に、階下から、近くに救急車が来ていると主人の声。立場上、ようすを見なければならない。もし助け手が必要ならやらなければならない。すぐに駆け付けて、ストレッチャーを置いてある場所で待つ。身分をいい、手助けは?というと、その必要はないということだ。事情はわかった。こういう事があるたびに肝を冷やす。このブログを書いている間に、救急車がピーポーを鳴らして患者を搬送、走り去っていった。
人の命が失われるかもしれない、それが、このような事があるたびに自分の中にトラウマとなって蓄積していくようだ。ピーポーを聞くたびに、精神的などこかがカタリと一段落ち込んでしまう。
いまも気分がそこからあがりきっていない。しかし、切り替えよう。患者は引き受けられ、病院へ向かったのだ。
雨
困った。雨ばかり降っている。図書館へ行きたくとも、バイクを使えない。クルマは駐車場の関係で、使いにくい。何れ冬に向かうとこうなるだろうとは思っていた。終日家にいて、家事ばかりが目に付いて、場当たり的仕事で日暮らししているような状況となっている。
昨夜1時に目が覚めて、なにか感動するものを読みたいと書棚に立つと、ハート出版の「ごみをひろうもも子」、犬のはなしだがドキュメント。繰り返しになるが、また二冊を読み返し、また感動し、また癒された。
きょうも雨。きょうも小雨。資料の読み込みがhakadoranai 捗らず、気合が入っていない事が原因と自覚しつつ、尚も陰鬱な気分に付きまとわれている。すこし疲れているかもしれない。ここでコーヒーブレイクを入れ、また気分を一新しよう。きょうは一日家の中だ。庭を歩きたくとも、小ぬか雨。雨、雨、こぬか雨。