きのう午前は図書館、午後は地域関連の参加手伝い。きょうは立場上100周年記念イベント参加。集合10時と間違える。一旦家に帰り、また1時に間に合うように出かける。終了は午後3時40分。主催者側も大変だったろう。会場の3階で参加。珍しく夕食前に別な方のブログ書き。

このブログは、いまはもう20時過ぎに書いている。
雨ばかり、異常な天候に不安が募るが、その不安をなだめるために、ブログを書いている。こんなときには、神の威光が想わせられる。

17日の午前1時半ごろに目が覚め、なにか心落ち着かぬ感じで、息子たちに何かありはすまいかと心配していたのだが、一旦は起き上がり、3時まで本を読んでいた。そうしたところが、どうも後日知ったことには、そのとき、牧師婦人のお母様が亡くなられたとのこと。

その日の午前中は、Sさんを八幡平にお連れして、それを知った次第。Sさんが、朝日の湯に寄りたいということで、数十年前のスキー帰りの思い出の湯であるらしいのだが、お連れした。昭和5年生まれのSさん。よく今まで、そして今もお元気な事。自分もこうありたいもの。

きのうは一日中家の中。こんどこそ図書館に本を返却せねばと付箋をつけたところをぜんぶコピーに取る。読書と掃除と料理。

一昨日は、たしか夕方から市立図書館。自治会の仕事、要請に応じて無料弁護相談を紹介。

そしてきょうは姑の命日。朝7時から花を買い、果物を買い、供える。墓参り。そして終日の雨。墓苑で降らなかったことに感謝。これから原稿書き。今日中に提出の予定。

二男帰る

今朝は5時にスーパーへ買い物へ。朝からではあるけれども、中華丼を作った。けんちん汁は作ったが食べなかった。今朝二男帰る。バイクで、身軽に、それが当然であるかに450㌔、高速を帰っていった。事故ったら大きいなと思いつつ、真っ向から存分に風を浴びている息子のすがたが浮かぶ

 

私は弟が迎えに来て、例年通り、実家の方の墓参、上田のT宅、食事を挟んで、 兄宅。兄嫁の先祖が平家の落人であることを知る。ちょっと驚きだった。T市に住む甥が家を買ったとか。兄の家でアスターを見て、自分もやってみようかなと。高校野球は当地のT高校が、二回戦を勝ち抜いた。

 

弟が10年後には、H氏の人口が2万人に落ち込む予測とか。人口の流出に歯止めがかからない。人がいなくなり、それでも、ハコものや、新道路の工事計画。税金が高くなれば、何れは企業も地元から撤退するだろうと。

 

昨日は、小姑さんが仏壇に。11月で仕事を辞めるとか。本を読んだのとガラス拭きの一日だった。

 

夜はついつい、もりおかさんさ踊りのダイジェスト版を見てしまった。随分と時間を浪費してしまった。いつもの轍を踏んではならないと思いつつ。ちょっと疲れ気味。

お盆ボンボン

日曜午前は礼拝。午後は自宅。

きのうは掃除。

きょうは本を読みながら、仏壇客に対応。昼直前にO家。奥さんは盆明けに入院。午後4時近く、T家。M家にいったところ、もう互いに齢だから、盆の訪問は止めようと言われた由。代替わりが年々進んでいる。

 

クラシックはやりやすいが、流行歌は流転が激しく、レコード会社間の競争が熾烈で、作詞、作曲家たちが、よくバーストしてしまわないものと感心するやら、気の毒になるやら、羨むやら。

夕刻、魚を買いに。ついでに本屋へ。よくまあ、毎日新刊がでているものだ。

帰りは夕立でびしょぬれ。なに、洗濯すればいいさ。帰宅してすぐにシャワー。夕食準備。

 

主人から17日に車を借り、Sさんを八幡平に同行予定。Sさんと同年齢のAさんのお母さんが来ている。

 一昨日書いた記事があっさりと消えてしまい、書き直す気力もなく、その日は終了。その日何をしていたかを記録しないと、後で、いついつ何をしていましたか、といった裁判所のような質問には即座には答えかねる実体となっている。こんなことでは、犯人でも何でもないにもかかわらず、有罪判決を受けかねない。

 結局、きょうは夕方1時間、お盆関係の仏壇に供えるものやら何やらを買いに1時間出かけたきり。午後は1時半から3時少し前まで、主人が、Kさんを畑に連れて行きたいというので同行。しっかりしているKさん。それなりの服装をしっかりと整えて現れる。午前は庭の皐月を剪定。掃除、料理。おととい、もう一昨日なのだが、帰省した息子。息子がいる間は、洗濯、炊事係をしっかりやらねば。

今朝早く、買い物と新聞を買いに行く。

聖会

きのうが盛岡さんさ踊りの最終日。夜の街を見るのは、息子が帰るときに駅まで送っていくときぐらい。ほんとうに夜の外出がない。たまには夜景でも見ながらディナーをと思うも、主人にはそういう発想がまったくない。東京に行ったときに、息子が、コンサートの前に食事をし、コンサートの後で、帝国ホテルのロビーでカクテルを取ってくれたが、楽しいひと時だった。

 盛岡ではそんなこともなく、しかし今は、隔週の原稿800字を書くという、退屈をせずに済むいわば、良い緊張感の伴う“おもちゃ”を預けられて、日々を有意義に過ごすことができる。現代は何でもある程度までPCで出てくるが、しかし、近代は、まだまだ未開の分野ともいえる。PC情報では取れないことが多く、地方の事とはいえやりがいはある。

 

 2日、朝8時1分発の新幹線で、仙台で乗り換え、郡山に9時半着。9時50分のバスに乗り遅れ、11時40分のバスで、教団のセミナー会場へ。バス待ちの間、文庫本を一冊、大方を読み終える。2日は、S姉妹と同室。S姉妹の娘さんが帰った後を使わせていただいたわけだが。彼女は、ぐっすり。結構いびきが。朝まで熟睡できないままに目覚める。朝のお祈り会のメッセージが素晴らしかった。14時半の新幹線でS姉妹、T姉妹と共に帰途につくが、T姉妹の夫が手術しなければならない連絡が入り、急遽、仙台でT姉妹だけが早く着く電車に乗り換え、急いで盛岡に向かう。自身も病の中にありながら。心が痛んだが、明るい彼女の表情ではあった。

 

 他のブログで、県下作家の出版パーティーの模様を写真で見たが、葉書を欠席にして出したことがすこし残念でもあった。しかしいくつもある出版パーティー、合評会と称するものに参加していては、教会のことが手薄になる。献金のため、教会の集会出席のために、多くのものを手放してきた。今は亡きMさんの出版パーティーのときも、これは行かねばと思っていたところ、教会の特伝とぶつかり、特伝の方に行き、Mさんには謝ったのだった。なぜか、自分がこれは行きたいと思った事と、教会の行事が重なったりする。神様に試されているのかもしれないと思う一方で、多くの方々に無責任、非協力的の烙印を押されてもいる。初めて切ない気持ちになっている。葉書を欠席で出した時点で、仮に自分が今後本を出版したとしても、もう自分の出版パーティーは無いことを覚悟。他人様を集めて華やかにやらなくとも、自分の労作が、一冊、図書館の書架に、国会図書館にのこる、それだけでいいと腹を括る。華やかな世界とはこれでおさらばだ。

 

 ただ、どうしても出なければならない出版パーティーが明日待っている。静かに参加してこようと思う。

大失敗

昨日、7月の最終日というのに、アイーナに停めたバイクが故障と思い込んだことから、とんだどんでん返しが。人生に何度か一度のとんでもない大失敗の巻となった。主人にも大変な労力をかけさせてしまった。