21日、タイムスに第一回の原稿が載る。読んでもらいたかった人々、恐らくはほんとうに喜んでくれたであろう人々の幾人もが向こうの世界に行ってしまった。この頃心の中で話しかけていた父。そして、母。やはり身内、そして兄弟姉妹、友達。教会の牧師婦人も「喜んでいる」と仰ってくださった。

それからこの21日は何をしていたろうか。いつも読んでいたブログの管理人の方が亡くなった。バーチャル世界を見ているだけだったが、音楽情報をよく発信しておられた。

午後は図書館。大杉栄堺利彦新里村年表を借り、けっこう時間をかけてのぞく。改造社出版の自伝もあるが、これは館外貸出はしない。車で行って、行きはスーパーに立ち寄り、5円コピーをし、図書館を出て、帰宅は17時。

忙し

19日、10時、図書館。11時半、ウィングで石鳥谷チェリスト女史、箏女史、ヴァイオリン女史と合流。1時半、地域関連の総会。夕食後、19時、地域関連会議、20時半帰宅。

20日分をここに書き足す。
午前は結局庭の整備。息子たちが帰ってくるのを意識。すこしでもきれいな所をみせられればと。午後は、先ずY・K先生に電話し、昨日のお礼。その後、取材関係で連絡を取ってくださった佐藤さんという方のところへ顔出し。すこし寒いので一旦帰宅してコートを着てから自転車でジュエリー展へ。Aさんが何かそっけなく感じられたのは気のせいだろう。
夜になって、フェイスブックで佐々木さんという方のご逝去を知る。カンタータのMさんにメールするも返事なし。姉に知らせる。

たくさん出会った

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美容院に行った。終わって階段を降りたところで、近所のいつも一緒に散歩するT・Tさんにばったり。彼女もきょう、髪を整えに。帰りに銀行に立ち寄ると、主人の親戚筋のK呉服店だったSさんにばったり。窓口を終えて、お茶に?というと、何か買ってあげたいと、おさしみを買ってくださった。そこで私は彼女に花の鉢植えをプレゼント。食事がいいところがあるというのでご一緒する。そこで一人で食事をしていたのがSさんの妹のY・Mさん。娘の一人は美大を出て挿絵作家、W大学を出た娘は、某新聞社にいるらしい。京都方面だったかな。本家のSさんはK帝大だったとか、さまざま聴いた。Sさんの娘さんが骨折しているのだとか。話しているうちに、向こうのテーブルで三人で楽しそうに食事をしているのが高校の同期会で幹事をしているTさん。また5月にTさん宅で幹事会がある。きょうは4人もの知っている人々に会った。何というよい日だろうと思った。そういえばもう一人、買い物のときSさんに近づいてきたのがSさんの弟だった。これは深刻でがんの末期であすにも入院ということ。お見舞いに行かなくてはならない。これで5人。2時間の時間帯で5人にも。そして2時半帰宅。原稿書きちょっと。そして1900年の社会主義協会設立から平民社が潰れるまでの一連を辿る。当時の社会主義者らの骨っ節の太さに感銘と脅威を覚える。当時はとにかく骨があったなと。春陽の影響はどこにあったかの大まかを掴んだ気も。

 

 今朝は40分ほどウォーキング。すわりっきりになり、足が弱っているのを感じる。

 

バイクで

 きょうはイースター。教会で卵を二ついただいたけれど、写真はまだ撮っていない。午後は墓参り。帰りは墓園から産直に寄り、スーパーに寄り、帰宅は4時半ごろ。主人がフルートを吹いている。庭にはヒヤシンスが咲きそろい始めている。終日バイクで動く。

寒い

ここのところ肌寒い日々。雨が降っているあいだは本を広げ、止んだところを見計らって草取り。一日中家に。

 夕刻に長橋町のN・Sさんから電話。相談と仰っていたが、私を元気づけるための電話ではなかったか。1時間ばかり話をする。

 

 下は春子谷地に行ったとき。この時の写真ばかりになっている。乗り出して撮ろうとという気構えが少々希薄になっている。

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無為でいることに抗う

午前、仕事3件。地域関係の書類提出2、会場確保。

午後取材。カルテットのメンバーをより固めるため。お一人暮らしの女性。いまは書道をボランティアに生かす。70までは猛烈に働き、それ以降は無為に暮らすことに抗うの戦いの日々だったとか。ひと昔まえの女性はすごい。

帰途、買い物をし、16時帰宅。草取りで気分転換。

一日中在宅

 なぜこうもしばしば書いた記事が書き消えてしまうのか。何かキーの押し方が甘いのかもしれない。

 きのうは、予定通り11時火葬。奥様にご挨拶しながら胸が痛んだ。お孫様たちが並んでいらしたので、すこし安心。もうお一方は、市がいう事には、どなたか身内の方が来て、最期の手続きなどなさったのではないかとのこと。

 午後は1時20分に家を出て、自転車で取材。内加賀野で、M呉服店さんのすぐ近くだったのにはびっくり。4万点の資料を保管しておられるとか。関東大震災の研究、明治43年の水害について興味深く聴く。3時半帰宅。そういえば、ここ数年来、20時半帰宅は役員会関係の会議のみ。遅くとも17時か18時には必ず帰宅している。これが普通なのだろう。働いている方々は、よく遅くまで外にいらっしゃる。疲れるだろうなと思う。

 

 きょうは一日中在宅。一通り昨日の資料などに目を通し、またまた誤って記載されているところを発見。春陽の籠の鳥が作曲されたのは大正11年だ。それが、その資料には12年と記載されていた。確かな出典を記す必要を強く思う。午後2時ごろから掃除をしだしたところが、これが止まらず、とうとう夕方5時までやってしまった。お三度も一か月の要する延べ時間はどれぐらいだろう。