「運命の海に出会って  レイチェル・カーソン」

きのうは午前中に1時間ばかり写真を撮りにいったきり。その他の特記事項はなし。あとは、本ばかり読んでましたが。家人は、もう一人の同行者とともに新年度に向けて新しい役員発掘まわりだった。2,3手ごたえがあったらしく、ほっとしている。

 

 中国の大気汚染、海水の温度上昇、核開発エスカレートの動き、その他、その他。毎日トランプ、難民、金正男で揺れるあいだも、環境破壊は進んでいる。没後53年のこの人を、いまいちど思い起こそう。

 

運命の海に出会って レイチェル・カーソン <新装改訂版>

運命の海に出会って レイチェル・カーソン <新装改訂版>

 

 この方、文学的素質がおありだった。『われらをめぐる海』は、ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラー・リストに86週もとどまった。科学系統の読み物としては異例。いかに熱狂的に迎えられたことか。いま日本では村上春樹の新作を各メディアが取り上げ、書店に山積み。村上春樹も悪くないけど、今カーソンを読むことは真の教養を積むことになる。カーソンは当時米政界に力のあった農薬メーカーとも真っ向から対峙、戦っている。ケネディはカーソンの主張を政治に反映させてくれてる。アイゼンハワーはペケ。企業の犬。自然保護論者の首を次つぎに切ったからね。政府の仕事を辞めたカーソンは、ワシントン・ポスト紙に宛てて政府を激しく非難、かっこいいとはこのこと。何て素敵な人なんだ!

沈黙の春』を出版したのが1962年。その2年後には自らがガンで56歳で死んでしまった。ほんと、涙がでちゃった。この本はとっても分かりやすい。面白いから読んでみてね。図書館にもあるでしょ、きっと。

歩かねば

 午前中、本を読んでいたが、すこし歩かねばと、午後に近所のT子さんを誘ってでかける。アイスバーン。T子さんにはちょっときつかったかなとケガをさせはすまいかと心配した。5900歩で無事帰還。結局肴町のアーケード街を往復。

 午後には主人は水泳。それが、流水のプールで倒れた方があったようだ。心臓麻痺だったよう。駆けつけたスタッフに混じり、主人もなにがしかお役に立とうとしたようだ。スタッフがAEDなどで心臓マッサージ。救急車が来るには来たけれども、間に合わなかったとか。管理の方に伺うと、珍しいことではなく、特にシャワー室で倒れる方がままあるということだ。

図書館へ

f:id:yuko77mirai:20170223211818j:plain

   午前中は役目上の集会出席のため近くのセンターへ。9時半着。3人用の座卓を二つづつ5か所に設置。座布団7枚を4か所に。5枚を一か所に。大御所が5人座れるように前に縦長座卓を二つ繋げたところ、一人欠席。お茶のペットボトルを人数分置く。福祉推進協議会関連の方の講話。12時半終了。お弁当、どら焼きを人数分配る。隣ではこの地域の女性部の会議があり、何人かが部屋を間違えて戻っていく。

 帰宅1時。家人に食事を出す。家人には地域関連の電話が入ることになっており、それと仕事を始末してから水泳に2時ごろに出かける。記録に挑戦しているもよう。1時間ばかり休んだが、何かエンジンがかからず、このまま家にいても、だらだらと過ごしそうなので、雪融けで足元もよくないのだが、バスで県立図書館へ。新刊書4冊、小説2冊借りる。図書館はいちばん居心地がいい。もし家人が先に逝くことがあったら、私は毎日朝早くから夜の8時まで、図書館を出入りしながら1日を過ごしたい。勿論居眠りも図書館で。

 盛岡駅から5時5分のバスで帰宅すると、玄関に、地域の配布物の関係で話し合いに来客が。地域の配布物なども今後はスリム化の方向に。地域で配布の仕事を担っている方が仰るに「これだけの広報物を月一回配って歩いても、ほとんどの方が見ておらず、必要としていないのでは。配ることは無駄だと思う」とのご意見。仕事がいやだというのではなく、やってみた結果の率直なご意見だった。

 家に入ってすぐに、レイチェル・カーソンの伝記の最新版を読む。もう環境の事は、取り返しがつかないまでになっているなと実感。レイチェル死後30年。墓の下で、ああやっぱりと嘆いているに違いない。

  図書館のあるアイーナに入るときに、短大の同窓会長のKさんとばったり。こっちからも入れるのよ、と親切にしてくださった。感謝、感謝! 女性ながら校長にまでなられ務めあげたはず。尊敬するお一人だ。

ランチ

f:id:yuko77mirai:20170222200948j:plain

 

   午前は、いつもの水曜の予定通り。10時半から12時近くまで。その流れで、AさんとTさんと一緒に県立美術館にあるレストランでランチ。3人同じ年代。Aさんは私よりずっと若いと思っていたので意外だった。2時半過ぎまで一緒に。帰る途中、スーパーに立ち寄って3時過ぎに帰宅。

 まもなく同人誌のTさんから電話。28日に同人誌の宣伝にマスコミ回りをするが行きますか?とのこと。随行することに。27日の同人誌の発送も手伝うことにした。

 役目上の提出書類が届き、調査事項を書きようがないので、電話で差しさわりのない程度に聴き込み。ポストに投函。

 

 これは、若いころに職場にいたときから感じていたことだが、女性は若かったり美しかったりすると、どうしても周りは甘くなる。だからこそ、私は、人に頼らず、自分で頑張って何かを成し遂げている女性が好きだし、心から尊敬する。

 

 

 

  

文學の会の会合

19日の18時ごろ、茨城、千葉で震度4.地震があるたびに、やや、南海トラフが来たか、と身構えさせられる。息子たち大丈夫かな、姉、弟家族、友人知人、同級生も大丈夫かしらんと思う。みんなみんな無事でいてよね。

 

きょうは文学の集まりがあった。見た目20㎝はある積雪。除雪車の通った後の道を徒歩で会場に。遅れて手術入院したYさんも駆けつけてくれた。それと、きょうは、代表Aさんからの案内をもらったからとかで、Nさんも初参加。体の痛みがあったKさんもいらした。全員がそろった。お茶の買出しをTさんが手伝ってくれた。一時は参加すること自体がしんどく思われたこともあったが、今は、自分がこの中でどのようにお役に立てるかを考え、できるうところを担っていきたいと考えている。

 

主人が所属している文学の会、全国3位入選を果たした方の作品が、かの地のラジオで朗読され流されているということで、主人が熱心に聞いていた。そして自治会の事では頻繁に動き回っている。連絡しに行ったり印刷に行ったり、物事の交渉に行ったり、書面を作成したり。7年間も。

 

のこすこれからの時間で本を読みたい。今夜も氷点下7度になるらしい。

 この冬、除雪車の出動はないかと思っていたが、盛岡、夕刻で18㎝。いまでは20㎝を超えたろう。

 終日家にこもり、文藝春秋社刊、浅田次郎の『壬生義士伝』を読む。数年前にも読んでいる。浅田次郎のサイン入り。表紙も榊莫山の書。いまじっくり眺めるとなかなかいい。アマゾン検索では文庫本しか出てこなくて残念。吉村貫一郎南部藩を脱藩。新選組に身を投じる。吉村は銭。しかしそれは妻子のためだ。格好つけるために大義名分はいわない。みっともないからその本音はあらわにするなというところを、吉村は口に出す。みっともないから無表情でいろというところを、吉村はすなおに喜ぶ。当時としては稀有なキャラクターなのだ。剣も学識もある。当時の武士がかたきしめていた誇り、その実質を見透かしているのか、頓着しないふりをしているのか、そこに、あるときにはじんと来、半ばあきれかけるが、しかし、決して軽蔑したり卑しんだりする気にはならない。泥をなめようと血みどろになろうと、嘲笑われようと、人を殺めようと、それは愛のためなのだ。愛ということばがしっくりしなければ、愛しい者たちを生かすため。腹切よりも、侮蔑されようとも、自分を待つものたちのもとに何とか帰ってやろうとする。愛する者たちを見捨てまいとする。その時代、時代の慈しみの有様、そして普遍的な現れを見た気がした。

sono

 

 

法事

きのうは10時に弟が迎えに来てくれ、その車で盛岡市龍谷寺へ。上田の叔父(義理の母の弟)の7回忌。実業畑の叔父で、免許資格をいっぱい持っていると職場の中でいいように使いまわされるだけだよと言ったものだ。シベリア抑留に生き残り帰還。何か年計画かを立てて、バイパス際の土地を買い、アパートを建てるなどして、某会社勤務の傍ら生活の基盤を築く。よく人の面倒を見た。その縁で叔父の娘たちも良縁に恵まれ今がある。

 市内に移動、12時からの会食、いとこが是非札幌に遊びにくるようにと、電話番号をくれる。何年先のことになるやら。夕張や余市のようすを聴きかじる。児童文学のはなしをちょっとしたところ、小樽に来てみればと。彼女がもと図書館勤務だったことを思い出していた。帰りは弟の車に叔母の従妹と乗り込み、実家のあとに建てたという建物を経由し見てから自宅まで送られる。兄は自分の車で。思うところもあったろう。

 帰宅後は読書。家事。

 墓に備えられた花の中、ユリ、菊、ストックの束の奥に、麦と桃、アイリスの洋花が飾られていた。お香のよい香りを思い起こした。