えびす講

11月7日(土)朝の8時半にR子から電話。日程を聞く。そのとき彼女が、きょうは「えびす講」だと。行って来てというので、20年ぶりかで、車がめんどうなので、バイクでいく。けっこうスリッパなどを買い、デパ地下で弁当を買って、余計なものは買わない。しまいには捨てるだけになる。12時少しすぎに帰宅。

午後はすこしといっても2時間はやすんだ気が。

夕方4時にいつもの彼女から電話あり。

夕食後にバイオリン練習。説教の起こし。

たまには友人とランチもするが、まあ2か月に一回くらいか。この頃になって遊興、享楽を遠ざけることが結局はすっきりとした暮らしになるものなのだという、これでよかったという思いがある。酒も飲む習慣をつけない、というよりも主人がのまないのでのむ機会がない、これも正解だったと思う。何かの集まりで好奇心からちょっと飲んだところが飲みたい人にされてしまったが、正真正銘家で飲む習慣はない。真夜中でも緊急の病気にも駆けつけられる。もう友人知人もいつなんどき病気になってもおかしくない年齢になっている。私が飲まないという事で、T子さんもいざというときにはほんとうに頼りにしてくれている。いつでも危急には駆けつけると約束している。

ある方が危篤で入院したという電話を受けて主人と病院へ駆けつけたとき、その人も、その人の友人たち二人も酒臭かったことに私は腹の底から怒りがこみ上げたのだ。なんでこんなにしてまで飲むんだ! この中の一人ぐらい飲まない人間がいたっていいだろう! そう怒鳴りたかった。誰がいつ病気になるかは分からない、いつなのかわからないことにいちいち付き合ってはいられないという理屈だろうが、誰かひとりぐらい飲まないでいられないのか。。結局私と主人がしらふだったので対応できたというのだった。これほどまでの酒を飲む習慣が浸透している。女もだ。なぜ女が飲んじゃいけないの、男尊女卑でしょあという理屈だろうが、そんなことに屁理屈言うんじゃないというのが私の理屈だ。

この