後でわかることがある

23日(日)は、ああきょうは教会の花の係だなと、30分早めに出てビックハウスで花を買う。朝、歩きたかったが、家周りを掃除。教会は昼で終わる。午後は終活の続き。買い物へは行かなかったはずだ。買い物へは行かないが、市立図書館から借りていた本がとっくに期限過ぎ、それも2か月も。月曜は休館と思い込み、やはり今日中に返さなければと行ったところが、「明日は開いています」。秋分の日からだろう。その後は2日まで休館となるようだ。児童図書の方へ行き、子供用の本を3冊ばかり読む。5時帰宅。

 

夜に長男から電話。「不思議なことがあった」と。聞くと、讃美かが心に流れてきたので、ネットからダウンロードしたよ」と。「何時ごろ?」と訊くと「昼頃」。こういうことは、書き留めておくと後でその意味が分かることがある。

 

きょう24日、休日。縁側でコーヒーを飲んでいると、庭を見ているうちに草が気になる。午前草取り。そして終活の続き。どんどん処分。今朝は不燃ゴミの日だったが、食器類や、昔の大きな甕を二つ出したが、持って行ってくれた。思い切って舅姑のものも処分。いるものは、もう亡くなった時点で小姑さんふたりに、欲しいものはとにかく自由に持って行ってもらったので、使えるものというのは無い。明日は可燃ゴミ、出せるだけ出して身軽になろう。もう何もいらない。極端には3食の食器とパソコンと最低限の衣類があればよい。要らない。何も要らない。

 

昼近く、主人が、墓参りして、競馬を見に行こう、というより馬を見に行こうというので同行。なんでも見ておこうとのつもり。とはいうものの、自分からは出かけようという意欲、意思が希薄になっている。誰かが提案したら、それに同行といった感じ。ちょっと疲れてるかな。この時期が終われば、民生を交替すれば、また意欲が湧くかも。月2回の原稿を書くことで何とか自分を保っている。

天気もそれほど照ってはおらず、競馬場の木立は紅葉できれい、青空もイワシ雲。馬たちは輝くように美しかった。帰りは山岸生協に立ち寄り3時帰宅。買った魚をすぐに調理、マリネにする。また草取り。

 

きのうきょうと権三ホールのT子さんの真摯なすがたがしきりに浮かんだ。私よりも年上かもしれない。

しかし、私がどこかへ行けば行ったで、また誰かが、一報を入れるのだろうなという気もした。気にしないようにするよりほかはない。