携帯は不携帯

きょう散歩でT子さんと歩きながら、次男がいったことを聞かせた。次男が来たときに、料理を作ったが、「これ以上出すとなると、あしたから、お母さんたちは質素倹約、日々納豆になるから、これぐらいにしておきました」というと、何と、「僕のために、自分の身を削るなんてことは今後一切しなくていいからね」。「俺」、と言っていた次男が「僕」というのを久しぶりに聞いた。そして、心こもったこのことばには、じんと来たのだ。ほんとうに変わったものだ。というよりも、もともとの息子に戻ったという感じがしたし、さまざま反省をした気持ちがこもっていたのが嬉しかった。とにかくまじめに仕事をしている。違う仕事に移るときでも、先に新しい仕事を見つけてから、それまでの仕事を辞めるという風で、家に依存しようとしたときは無かった。ほんとうに嬉しかったので、そのことをT子さんに教えたのだ。

 

頭の重いのがすこし直ったなと家に帰って夕食支度を終えると、なんだか頭が痛い。もしやと血圧を測ると160あった。食事は後にして、温かくして横になって休む。ほどなく120程度に下がって、食事を終えたところに、地域の別な方が亡くなったという連絡が入った。住所はここにあるが、東京にお住いの方だ。何と立て続けにお二人の方が。ほんとうにまた頭が痛く重くなった。別な方が葬儀に参列くださるらしい。遠隔地に住む姉の関係者でもあるので、すぐに連絡すると、もう知っていて、「今朝携帯にでんわしたのに、見なかったの?」と叱られる。携帯は不携帯、いつも茶箪笥の中だ。携帯を持ち歩く習慣がもう何年も前から無くなっている。「毎日チェックだけはしなさい」と怒られてしまった。世の中が、スマホ、携帯がどれほど便利かよくわかっているが、世の中、これをまた何に使っているかも知ってからは、いやになってしまったのだ。しかし、持ち歩かないまでも、一日一回のチェックはせねば。災害時には必要なものではある。主人と共用であるために、自分の持ち物という意識は薄い。

 

このブログを書くことで気が紛れている。