私はわたし

きのう13日、午前中に小姑さんが仏壇をお参りに来たようだ。あげたいと思っていた中村屋の水菓子一折と、巨峰は、主人が持たせてくれたようだ。わたしはどこへ行っていたか、一瞬あれっと。Kデパートだった。入院の彼女が、「8月14日は私の誕生日」と言っていた。喜ばせたいとの気持ちではあったが、親族がこれをどう思うかはわからない。ハンカチにカードを添えて郵便受けに投函。ほかの書かなければならない2件の返事もついでではあったが、ハガキで出す。

 

14日正午からOさんの葬儀参列。福祉労働大臣からの弔辞が来ていた。県庁の課長の代読。民生委員ってそんなに重責であったのかと思うと同時に、民生委員よ、いやがらずに頑張ってくれよ、の意味かとも思った。慕われていたのがよくわかった。私にも、心配して電話をくれたに違いない。

 

14日に次男が来るというので、食材を買いに。冷蔵庫にあるウナギと鳥のから揚げ、ゴーヤチャンプル、トマトの甘煮、揚げポテトとベーコンのチーズ焼きにお刺身4品。こんなに食べないとわかっていても、皿数だけは揃える。来て新聞に目を通し、住まいの環境の話、防災の話、仕事の話、盛岡はゴミ収集が少ないなどを話しながら食事を終え、クルマで帰っていった。家では飲んだことがないなあ。

 

本日15日からは、昨日の余った料理の始末だ。

祈祷会は、お休みに。行こうと思えばいけるのだが、何か窮屈というか、どちらにとっても、かなりどこか、何かを我慢しているという感じが。大方の原因は自分にあるのだが、人の前で祈ったりすることが、近頃苦手になってきている。組織に属することの重さ、責任をいまさらながらに感じている。

ゴッホが耳を切った理由が、近頃すこしわかる気がする。

30℃ある日は家にいても一日が無駄になる。図書館にでも逃げ込みたいが、どうなるか。資料をぜんぶ担いでいくわけにもいかず、パソコンは大きく、持ち運びには若干難あり。図書館設置のパソを遣う気にはなれない。

 

ある方が賞に。しかし、私は、しっかとり100冊の本を読み切り、しっかりと自分の力で書ききって受賞したYさんを、私は手本にしたい。

それにしても、長い長い間、とんだ付き合いをしてしまったものだ。

 

私が連載を始めたとき、その道の専門家が「わたしが書いてあげるよ」と言ってきた。私は、はっきりと断った。書くものとしてそれをやったらおしまいだという矜持、というよりも、人に書いてもらったものを自分の名前で世に出すなど、言語道断というよりは、そんなことはあるまじきことだ。それが往々にして世の中にはあり、そしてまかり通っている。決して覆されないようにしかも巧妙にしかも堂々とやっている。金でやっているものもある。これが世の中だ。

しかし私は私だ。蹴られようとも、私は私で行く。こうなればなるほど、勇気で奮い立つ。叩き潰されても、私は私だ。