同期会

 いま北挑戦がミサイルを発射したニュースが報道されている。5回目。

 頻繁な自然災害といい、世界が長くは持たないのではないか。何しろ世界のトップ、トランプが、環境よりも経済優先という、まことに幼稚な先見のなさを平気で実行。トランプの孫の時代、その子の幸せを考えないのか。

 2日は高校の20回同期会29人が宿泊して旧交を温める。教会を終わってすぐに同期生に拾ってもらって会場に。受付。パーティーでは文学の経緯を。写真撮影。さまざまな人生のお話。よくみな無事に生き抜いてきたもの。

 

 草ぼうぼう。庭は、8割が草ぼうぼう。個性的なベルケアが今真っ盛り。

 

きょうは定例役員会。また忙しい毎日が始まる。

 

 

ずっとブログを書きかねている。やはり、何をしていたのかが曖昧になってしまう。もっと体力があれば、しかし、日々に神に助けられている感じがある。

夕べは12時に目がさめてしまい、3時まで勉強をしていた。読書ではなく、確かに勉強なのだ。3時にちょっと左胸が痛むというよりも、やめなさいの信号でしょうけれども、終わりにして再び横になるが、朝までちょっとは眠っただろうか。

午前中は主人の関係の来客。中に入ることは遠慮されたが、けっこう話ははずんだ。

午前で賢治関係一冊読み終え、岩波の賢治図書を午後に50頁ばかり。実に面白い内容だった。昼から美容院へ行くが、混んでいてきょうは受け入れてもらえなかった。ひどく暑いので、ナナックの4階の椅子で本を読んでいた。

 

息子ふたりが最近すれ違いに帰省。元気で乗り切って行ってくれるものと信じる。

失礼の段数々

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 ほんとうに忙しくなってくると、もうブログどころではない、というよりも、瞼が眠くなって沈没。もう6月の下旬。30枚原稿を一本書きたいのだけれど手つかずでいる。そちこちに失礼の段数々。ぜんぶのひとに礼儀を尽くすのは、体力的にも大変。政治家などはよくこなしているものと思う。もっとも、ああいった方々には秘書もいれば支援者たちもいるわけで、そつなくこなしているのだろう。

 地域関連の役目が多い。

会議、研修、食事会の準備、調査等々。

バザーは地域関係と教会関係と、バザーに限らず、イベントなども両方ある。

ただただ眠い

28日、教会で、Sさんからバックを頂戴する。礼拝、役員会、そして伝道会には出ずに途中、大型スーパーで買い物をし、13時半帰宅。昼食。庭の片づけ、読書。

29日(月)早朝、外回りの掃除。そこで別なSさんが事故に遭われたかというはなしを聞き、役目上、急いで朝食を終え、Sさん宅に行くと、階段を降りてこられたので、ほんとうに嬉しかった。かすり傷はあるものの、お元気そう。午前原稿書き。午後近所のTさんと、喫茶ママへ。青の会展を見る。その後進物用のお茶を買いに川徳へ。帰宅16時半。3時間近いデパート行脚は長すぎた。すぐに夕食の支度。なぜかどっと疲れが噴き出る。ひとりで行けば、たぶん1時間でぜんぶの用事をすませたろう。しかしTさんが心配。Tさんを外に連れ出すことが役目とも思われてきた。

いまはただただ眠い。

 

全休にしようとするも、やはり仕事が

26日午前、地域の女性部の総会。午後から、サロンの回覧用書面を作成、近くのセンターでコピー。朝5時半ごろから庭の片づけ。

27日午前雨。軽い腰痛。午後は同期会関係の出欠の最終確認の電話を8件。名簿変更届を同窓会に郵送。けっこうな時間を要した。

主人は専ら児童文学創作、野菜作り。きょうは二十日大根、葉大根を収穫。春菊の抜きたても食する。

教会近くのN町に住むSさんより電話。あす教会に5分前に来るようにと。

齢相応

強烈な5月の日差し。きょうは役目上参加が義務付けられている集いを、何と火曜日と勘違い、出かけてみると誰も来ていない。気づいて図書館へ行こうとしたが、駅ビルを30分ばかり様子見。ずいぶんと観光客が多いような。最近食べ物のテナントを一気に増やしたようだ。

図書館に入り、調査項目の関連資料として挙げられている著書を次つぎに検索したが、どれもこれも無し。やっと1冊、幸田文の「おとうと」、これは書庫。何と結核という病の日常の状態を傍証するために使われているだけ。このような引証のされ方に驚く。読むまでもなかったと思いつつも100頁を館内で読む。今に通じる内容に惹きつけられる。胸にじんとくるものがあった。これも天の采配か。

17時に図書館を出て、本町にあるスーパーに立ち寄り、食材を購入。近くのマンション住まいの従妹のN子と入り口ですれ違う。一瞬だれだっけ?私の表情を察して、「N子です!!」。いつから眼鏡をかけちゃったの? ずいぶんと表情が違って見える。逆に眼鏡をはずした私を間違えなかったということは、どうやっても違いはないというところか。

食事を終えて書類を作成。

さて今からどう過ごすか。近ごろはコメントも無し。メールも無し。こんなもんでしょう。これが齢相応というものかも。そう考えればむしろ気が休まる。大変でもきつくても、人のために書いていたことがある。もはやそれも大昔のことになってしまった。ただ思うのは、どん底にある方のためには、多少の犠牲を払っても、こちらが出費をするとしても、やって差し上げる価値はあると今でも思う。この類は公開すべきではなく公開してはならないことが多い。また誰にでも、というわけにはいかないことも現実としてある。

21日は

 21日は、朝のうちに、一昨日掘りあげた芙蓉の一部をやっと植えこむ。10時、バイクで教会へ。途中コンビニで5000円をこまくする。そのとき、ヘルメットを落としてしまい、フードの左側面を欠いてしまう。踏切を渡るたびに、同級生が遭遇したもう40年以上も前の列車との衝突大事故を思い出す。誰のためか、きょうも踏切に造花の花が置いてあった。

 教会でAさんが、「ラジオ聞いたよ」と。皆さんが一瞬何のことと注意を向けてくれる。

 午後の集会には出ずにまっすぐ帰宅。まもなく主人が畑から帰宅。30℃はあったろう。昼食を出し、14時ごろ、ガス台を買いに行く。15時帰宅。すぐに主人が設置。16時、仕事関係の方が見えられ、聴き取りながら書類を作成。16時20分ごろ入院している友人から電話がある。30分間はなす。そのあと夕食準備。とにかく暑いというよりは熱い一日だった。

 息子たちのことが想われる。

今までお世話になった方々に、言葉を尽くせないできたこと、有言不実行が多かったことがしきりに悔やまれる。しかしあまりに忙しいのも事実。不履行のみが喧伝され非難の種となっているだろう。今後は何々をしますと先の約束は一切できないことを思う。

 いったい、自分を生きたという実感のない人生ともなっている。教会に走り、人さまのために走り、それも価値がなかったとは思わないが、いったいこれで良かったのかどうか確信が持てないでいる。体力がいまいちだ。そして無意味に深く考えすぎる性格があだとなっている。