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図書館へ

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   午前中は役目上の集会出席のため近くのセンターへ。9時半着。3人用の座卓を二つづつ5か所に設置。座布団7枚を4か所に。5枚を一か所に。大御所が5人座れるように前に縦長座卓を二つ繋げたところ、一人欠席。お茶のペットボトルを人数分置く。福祉推進協議会関連の方の講話。12時半終了。お弁当、どら焼きを人数分配る。隣ではこの地域の女性部の会議があり、何人かが部屋を間違えて戻っていく。

 帰宅1時。家人に食事を出す。家人には地域関連の電話が入ることになっており、それと仕事を始末してから水泳に2時ごろに出かける。記録に挑戦しているもよう。1時間ばかり休んだが、何かエンジンがかからず、このまま家にいても、だらだらと過ごしそうなので、雪融けで足元もよくないのだが、バスで県立図書館へ。新刊書4冊、小説2冊借りる。図書館はいちばん居心地がいい。もし家人が先に逝くことがあったら、私は毎日朝早くから夜の8時まで、図書館を出入りしながら1日を過ごしたい。勿論居眠りも図書館で。

 盛岡駅から5時5分のバスで帰宅すると、玄関に、地域の配布物の関係で話し合いに来客が。地域の配布物なども今後はスリム化の方向に。地域で配布の仕事を担っている方が仰るに「これだけの広報物を月一回配って歩いても、ほとんどの方が見ておらず、必要としていないのでは。配ることは無駄だと思う」とのご意見。仕事がいやだというのではなく、やってみた結果の率直なご意見だった。

 家に入ってすぐに、レイチェル・カーソンの伝記の最新版を読む。もう環境の事は、取り返しがつかないまでになっているなと実感。レイチェル死後30年。墓の下で、ああやっぱりと嘆いているに違いない。

  図書館のあるアイーナに入るときに、短大の同窓会長のKさんとばったり。こっちからも入れるのよ、と親切にしてくださった。感謝、感謝! 女性ながら校長にまでなられ務めあげたはず。尊敬するお一人だ。

ランチ

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   午前は、いつもの水曜の予定通り。10時半から12時近くまで。その流れで、AさんとTさんと一緒に県立美術館にあるレストランでランチ。3人同じ年代。Aさんは私よりずっと若いと思っていたので意外だった。2時半過ぎまで一緒に。帰る途中、スーパーに立ち寄って3時過ぎに帰宅。

 まもなく同人誌のTさんから電話。28日に同人誌の宣伝にマスコミ回りをするが行きますか?とのこと。随行することに。27日の同人誌の発送も手伝うことにした。

 役目上の提出書類が届き、調査事項を書きようがないので、電話で差しさわりのない程度に聴き込み。ポストに投函。

 

 これは、若いころに職場にいたときから感じていたことだが、女性は若かったり美しかったりすると、どうしても周りは甘くなる。だからこそ、私は、人に頼らず、自分で頑張って何かを成し遂げている女性が好きだし、心から尊敬する。

 

 

 

  

文學の会の会合

19日の18時ごろ、茨城、千葉で震度4.地震があるたびに、やや、南海トラフが来たか、と身構えさせられる。息子たち大丈夫かな、姉、弟家族、友人知人、同級生も大丈夫かしらんと思う。みんなみんな無事でいてよね。

 

きょうは文学の集まりがあった。見た目20㎝はある積雪。除雪車の通った後の道を徒歩で会場に。遅れて手術入院したYさんも駆けつけてくれた。それと、きょうは、代表Aさんからの案内をもらったからとかで、Nさんも初参加。体の痛みがあったKさんもいらした。全員がそろった。お茶の買出しをTさんが手伝ってくれた。一時は参加すること自体がしんどく思われたこともあったが、今は、自分がこの中でどのようにお役に立てるかを考え、できるうところを担っていきたいと考えている。

 

主人が所属している文学の会、全国3位入選を果たした方の作品が、かの地のラジオで朗読され流されているということで、主人が熱心に聞いていた。そして自治会の事では頻繁に動き回っている。連絡しに行ったり印刷に行ったり、物事の交渉に行ったり、書面を作成したり。7年間も。

 

のこすこれからの時間で本を読みたい。今夜も氷点下7度になるらしい。

 この冬、除雪車の出動はないかと思っていたが、盛岡、夕刻で18㎝。いまでは20㎝を超えたろう。

 終日家にこもり、文藝春秋社刊、浅田次郎の『壬生義士伝』を読む。数年前にも読んでいる。浅田次郎のサイン入り。表紙も榊莫山の書。いまじっくり眺めるとなかなかいい。アマゾン検索では文庫本しか出てこなくて残念。吉村貫一郎南部藩を脱藩。新選組に身を投じる。吉村は銭。しかしそれは妻子のためだ。格好つけるために大義名分はいわない。みっともないからその本音はあらわにするなというところを、吉村は口に出す。みっともないから無表情でいろというところを、吉村はすなおに喜ぶ。当時としては稀有なキャラクターなのだ。剣も学識もある。当時の武士がかたきしめていた誇り、その実質を見透かしているのか、頓着しないふりをしているのか、そこに、あるときにはじんと来、半ばあきれかけるが、しかし、決して軽蔑したり卑しんだりする気にはならない。泥をなめようと血みどろになろうと、嘲笑われようと、人を殺めようと、それは愛のためなのだ。愛ということばがしっくりしなければ、愛しい者たちを生かすため。腹切よりも、侮蔑されようとも、自分を待つものたちのもとに何とか帰ってやろうとする。愛する者たちを見捨てまいとする。その時代、時代の慈しみの有様、そして普遍的な現れを見た気がした。

sono

 

 

法事

きのうは10時に弟が迎えに来てくれ、その車で盛岡市龍谷寺へ。上田の叔父(義理の母の弟)の7回忌。実業畑の叔父で、免許資格をいっぱい持っていると職場の中でいいように使いまわされるだけだよと言ったものだ。シベリア抑留に生き残り帰還。何か年計画かを立てて、バイパス際の土地を買い、アパートを建てるなどして、某会社勤務の傍ら生活の基盤を築く。よく人の面倒を見た。その縁で叔父の娘たちも良縁に恵まれ今がある。

 市内に移動、12時からの会食、いとこが是非札幌に遊びにくるようにと、電話番号をくれる。何年先のことになるやら。夕張や余市のようすを聴きかじる。児童文学のはなしをちょっとしたところ、小樽に来てみればと。彼女がもと図書館勤務だったことを思い出していた。帰りは弟の車に叔母の従妹と乗り込み、実家のあとに建てたという建物を経由し見てから自宅まで送られる。兄は自分の車で。思うところもあったろう。

 帰宅後は読書。家事。

 墓に備えられた花の中、ユリ、菊、ストックの束の奥に、麦と桃、アイリスの洋花が飾られていた。お香のよい香りを思い起こした。

頑張ってみてくださいませ

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 ゆっくりと起きて朝食を摂り、コーヒーを終え、本を読んでいると救急車が隣の向かいに来ていることに気づく。役目がら一応お役に立つことはないか、これも往々にしておせっかいにもなるので、見極めが難しいのだけれども、玄関先までようすを見に。医師、看護師もいたので遠慮する。午前中は主人は最寄りの文房具店、そして郵便局、図書館へ。きょう原稿の投稿を済ませたようだ。恐れ入るほどの綿密な原稿の仕様と取り扱いだ。自分もどこかへ投稿したいと思うものの、ギアの入れ替えもままならない。

 昼食後に、班替えの連絡2件。盛岡ガスの警報機の更新をいつにしたらよいかと来たので、今やってくれるよう頼む。次には自民党のT衆院議員がこの辺り一帯を挨拶に回っているらしく、秘書を連れて来訪。それが舟越保武を取材したときにお世話になったT子さんはこの方の姑、ということでお礼を述べ、T子さんへの御無沙汰をお詫びする。

 そして、かかってきた電話は、この辺り一帯を不要の電化製品などを集めにまわってますが、何かありませんかとの女性の声。もう終活でみな片づけましたと話が長引かぬように答える。食材が足りないので、最寄りのスーパーまで。40分弱で帰宅。すこしして主人が水泳から帰宅。

 午後にちょっとTVを点けると渡辺和子氏が出ていた。2・26事件で殺人犯となった方の兄と言ったかと思うが、渡辺さんに面会したことなどが映っていた。殺人犯の兄弟ということでどんな思いで暮らされたことか。三浦綾子の「氷点」を思い出した。

 トマス・アクィナスの未完の書『神学大全』を出て来るかと危ぶみながら検索。しばし読み進む。人間は完璧な善である神につながり、その善に与る以外には善を持ちえないとのくだりには深く頷く。

 次に読む本はと思いつつ図書館にも行きかね、書棚から浅田次郎のサイン入り『壬生儀士伝』を持ち出す。数年前に読んだ時よりも、格段に惹きつけられつつ読んだ。

 今日は空が青く、ほんとうは写真を撮りにも行きたかったが、主人の予定を尊重、先行してもらい、自分はおとなしく。なにか自己主張がやたら面倒になっている。自分を先行させるには、もうエネルギ-を倍も消費させねばならない感じが。こうしたいといえば主人は反対はしない。しかし、そう言いだすことも億劫に面倒になっている。しかし嫁という立場で衆議であるT氏、しっかりと自分を生かしているわけで、何ともその強靭さに脱帽という言葉もしっくりと来ない、まあ、自民を支持するかどうかは別にして、女性として確固として踏ん張って私の分も頑張ってみてくださいませといった心境に。

文學界2月号読了

文學界をまずは一通り読み終えた。「最愛の子ども」、疑似家族の愛のありよう。どんな人間関係も疑似家族として態を為すことができるという奇抜さ、面白さだろうか。4年ぶりの新作320枚。これが、巻末の小説月評にあるような前衛的なものといえるのかどうか。自分の固定観念が許容するかどうかなぞは、ここでは論外なのかもしれない。一つのモードの更新として読んだ。「毛沢東の家」、毛沢東は、日本人がニュース、書籍で把握しているのと、中国の方々との捉え方とには格段の差があるだろう。たとえ一つの観光施設として観るに堪えないものであっても、それが中国を解放した神のごとき人の遺したものであれば。「分岐」で謂わんとしていることがいまいち捉えがたかった。「托卵」、赤ん坊の取り換え事件かと思ったが最後に取り換えられてはおらず、思い込みと妄想に支配される母親。「撞木」、娘がシュモクザメに下半身を食いちぎられるというショッキングな事件から始まるが、シュモクザメの、消化に時間がかかる、異物を吐き出すといった生態を逐一調べてから、物語を構築したように思う。サメではなくとも、生物、動物とのかかわりに於けるこのような小説を書けたならと思わせられた。「石牟礼道子を語る」、水俣病を記す作家として有名。読まずして語るに参加するでもなかろうと、きのう夕方、近くの古書店で探したがなかった。「障害」とは書かずに「障碍」と書くのだと教えられる。「石牟礼道子は、患者たちに『仕える』ことで、大いなる智慧に触れようとした人だ。」とあり、「切実にして謙虚な、その姿勢。それが『苦海浄土』を、晴れやかで広々とした書物にしている。」と。パラリンピックにも話が及んでいる。障碍という個性とともに暮らす社会にあって、視座を与えられた。「トマス・アクィナスの沈黙」、私はこれは非常によくわかった。1273年にトマスがミサの中で深い宗教体験をしたという。そして、『神学大全』は未完となる。自分の書いたものなぞというほどの宗教体験に羨望を覚える。そして自分がまがい物であり、偽善的であること、このような文學界の感想を書いているあたりは、いよいよ偽物くさいと思わせられたのだ。他短編、続き物の数編、辞書を、といってもすべてはPC検索に頼っているが、読めぬ漢字にも出くわしながら目を通し、読了とする。

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きょうは一日雨。春一番が吹く。終日家にこもる。