這い出せない人たち

 昨日の写真展は、主人とも知り合いであることから、よく、感想をくださる方の写真展であるので、いつも一緒に行ってくださる近所のMさんと一緒に写真展に顔を出す。わたしが今の調査をどうしてやるようになったかなどをお話しする機会があってよかった。さまざまに言う方の本音は、「あんなたいしたことのない奴に、こんなことができるはずがない、誰かにやってもらってんだろう」などと言いたくて仕方がないのが本音かと。相手の憤懣、イライラまでが一緒に伝わってくる。この研究に関して、すべて潔白であることを証明できるようにしておいて本当に良かった。

 いまになって人間の恐ろしさを知った。これまでは、人の大方の悪意、悪戯もぜんぶ知っていて赦すことができたし、赦すことは、そう難しいことではなかった。しかし、赦すということは、相手が自分に関して言っていることを認めることであることに、今更ながら気づいている。そして相手が抗議しない、黙認する、弱いとなればいくらでも暗いたくらみを仕掛けてくる。それも私には知られないように、暴かれないようにうまくやっているのがわかる。やはり、そうじゃない! とはっきりどこかで言っておくべきと思うようになった。

 

 きょう、地域の子供たちの入学、卒業、進級祝いがあった。その席で挨拶したときに、無視した方がいたが、ああ、この方も言いくるめられたか、そして悲しい気持ちになった。ずっと話すことができなかった。堪えていた。相手が、しまったと思って取り繕った。でも私の気持ちは、もう元には戻らなかった。この方も以前から、そうだなと思っていたが、予感的中。

 

教会は花係。教会に行くと新来会者がきていた。ほんとうに嬉しく思った。11時で教会を出て、一路自宅に。そこから主人が、子供会の会場まで送ってくれた。きょう、地域の子供たちの入学、卒業、進級祝いがあった。その席で挨拶したときに、無視した方がいたが、ああ、この方も言いくるめられたか、そして悲しい気持ちになった。ずっと話すことができなかった。堪えていた。相手が、しまったと思って取 り繕った。でも私の気持ちは、もう元には戻らなかった。この方も以前から、そうだなと思っていたが、予感的中。しかし3月で、一応すべてが終わる。

 

 肉的になった人間がいる。肉的な人間と付き合うと肉的になり、もうそこから這い出せなくなる。そういう世界に嵌った人たちを見ているとそうだ。楽しい、居心地がよくて仕方なくなるのだ。抜け出せないのだ。そんなところに陥ることからは守られたなと思う。教会に行くことには、やはり、そういったことにならないようにするためには有益だと思う。