図書館は有難い居場所

 何も書かないということは、音がしないことと同じ。生きているかいないかわからないという事と同じ。それで1行でも2行でもと別ブログも更新。特別な意味などは無い。

 きょうは、朝から草取り。これはまずい、これではほんとうに私はダメになる、というよりも、今しかできないことがおろそかになってしまうと、午前中は祈祷会にいったが、その足で図書館へと向かう。降らないでくれたことに感謝。途中ナスを買いたい、そう急にここでナスが出てくるところがやはり主婦。ナスを買いたいと思うも、使う道すがらに青果店がない。回り道せずに野菜を買うには、魚屋に寄る。野菜を置いている魚屋に。ナスが一袋だけ残っていた。

 4時間ほど図書館にいたろうか。電話も来ない。家事も気にならない。来客も無し。草は見えない。それらもすべて大切ではあるのだけれども、非日常に気楽に専心するには図書館がいちばん。ああ思われるか、こう思われるかなどと気にすることはない。いつか、夏の暑い盛りに、「よくバイクで出かけるけど、何処へいくの?」と訊いたかたが。いつも躊躇ってはっきり言わなかったが、やはりはっきり言った方がいいと感じ、「図書館です。貸出禁止の本などは、館内で読まなくちゃなりませんので」と言った。図書館へ行くと言って、他へ行って遊んでいたことは一度も無い。ドラマティックに考えたいのが人の想像力であるようだ。

 図書館に行くようになってから、一人の女性、たぶん私よりも年上かと思われるが、いつも来て、それがとても硬い感じのかたなのだが、ああ、この方も何か調べにいらしているなとお見掛けするたびに心に留まっていたが、近頃はまったく見かけることがなくなった。新聞コーナーも高齢の方が多い。家にこもりっきりよりもと利用している方が多いようだ。もちろん、学生コーナーはけっこう埋まっている。図書館は有難い居場所だ。

 帰宅してまたちょっと草取り。花が咲かなかったヒガンバナ、絶滅したかとおもっていたところ、木陰にからりと緑の葉っぱが3、4センチ伸びていた。生きていたのだ。ヒガンバナは一列に並べるよりも、円形の中に一定量咲いていた方がいいように思う。