いまは自分を守りたい

22時近い今になって、きょうはたいしたこともなく過ぎたという感覚だが、感覚はやはり感覚。思い返せば、そう、バラの剪定を朝早くしたのは、昨日だったが、今朝は、歩こうかと思ったが、クラシック倶楽部を点けてしまった。モーツァルト、いいや消そうと思った時に、オブリガードにヴァイオリンを使っている曲という解説が入り、ついつい聞いてしまう。

早朝に、地域で亡くなった方がいらっしゃる。一段落したら様子を見に行こうと思っていたところに。自治会の方がいらして、自分が見てくるということ。1時の火葬に参列してくださるというので、ああわたしが行かなくてもいいんだと。悼む思いはあっても、時間的にきつい感じだったので。

午前はコーヒーを飲み終えて、3区画目に、そう自分が勝手に仕事の区画にそうつけているのだが、そこ一帯にインターネット用を配布。特別事情が一件。11時には片付く。アパートの関係の方も、予想以上に協力頂くことができた。100うん才の世帯も難なく解決。

11時ごろ、事務処理をしていると、小姑さんが見える。乳製品をくださった。コーヒーを淹れ茶菓を準備。お昼、一応はお誘いしたが帰られた。

昼食後ちょっと休む。それからぼちぼちと原稿書き。苦手な部類の原稿書きだ。関連の音源を聴くなどするうちに、夕6時。なにやかやとやるべきことが立て続く。

 

原稿、もうちょっと進めて概要を作っておかないと。

明日の予定はなし。とにかく完成させて送信しなければならない。

 

いま行方不明になっている人の幻が浮かんだ。行方不明は不明ではない。神は必要なことは、なにも出かけてそこに行ってみるまでもなく、ぜんぶ幻をみるように見せて教えてくださるというのが私の実感。何れ自分よりもはるかに賢い神に信頼することが、自分を守ることであるかもしれない。