遅すぎた気づき

13日木耀。明日から八幡宮祭りだが、山車が歩いている。

今朝9時半までに市役所に行こうとしたら、上ノ橋方面に山車が見えたので迂回。皆さんが仕事の袋を持参していたので、あら、何か忘れたかしらと、どきっとしたが、持参すべき指定されたものはなかった。今回は初日は体不調と重なり、ちょっとしんどい思いをしたが、後は難なく片付けられそうだ。ホットラインでちょっと買い物。12時近く帰宅。

午後一番に、高齢者の方々へお配りする蜂蜜が8個届き、すぐに配って歩いた。2個だけは明日になるかなと思いきや、ちょうどお葬儀かなにかから帰ってこられ、玄関先でお渡しすることができた。これでぜんぶ終了。一日で届け切ったのは初めて。

後は、市の仕事を片付ける。

 

臥せっているあいだに、裏庭が草ぼうぼう。こぼれた花の種がどうにかなりそうな勢い。何とかせねば。しかし、これをやっていると、また種々に遅れが。ジレンマ。

それでも、夕方には、ヒマワリ、ほんとうに堂々と威厳をもって咲いてくれたヒマワリを整理。種を収穫する。種を収穫するにも時期というものがあることを教えられる。あるものはカビが生え、あるものは虫だらけ。しかし、いちばん丈が高く咲いた種は、きれいにびっしりと詰まっており、虫も付いていなかった。

そろそろ5時に15分前、夕食準備。あとは資料読み込みで時間をつぶすことに。

昨年、極端なまでに刈り込んだ葡萄に、たったの数粒の実が。

また小学校から、授業参観の案内。そこまで自治会役員のサポート、自分はサポート出来てはいないと思っているが、それが必要なものか。やたら呼び出しが多いという感じだ。しかし、来春で退任。それが決まっているだけでも、随分と重しが違う。

 

資料を借りている方が気になっている。借りるときに、こんなにできるかなと、正直自信がないままにお借りしてしまったことを自省。その時は、こんなに忙しくなるとは思わなかったし、またさまざま文学関係、他で苦しむことになるとは思ってもいなかった。何れ何とかしなくては。どちらにしろ、文芸誌にこれ以上書くことには意味がないかもしれないと思う。一応編集委員と名は記されているが、編集の相談を受けたことはなく、常に事後承諾のみであった。私が関わったのは校正と発送と、発刊時に約3分の一にあたる負担金を支払うことのみだった。いったい誰の意思、意向によって文芸誌が編纂されていたものか。今頃になって、ああそうかと気づくことになっている。遅すぎる気づきだ。