利害関係のない競争心のないよき関係

午前、迷うが、Yさん、Iさんが行くというので、私も教会へ。息子たちのことを思うときには、やはり、神に祈っている。

朝は運動不足、体が弱体化するのを恐れ、久方ぶりに歩く。肴町ホットラインで民生のHさんと出会う。一回りして帰宅。外回りをちょっと掃いて家に入り、朝食の支度。

午前中は教会。バイクで、ゆっくり、ゆっくり。献金のお祈りを当てられたことに、ちょっと違和感。Iさんが、皆さんにおいしいというパンを買ってきてくださった。牧師夫人が葡萄を出してくださった。

1時に帰宅。主人は2時帰宅。昼食を出す。

資料の読み込み。もうちょっときちんと整理する必要あり。

明日は市役所に行かねばならない。仕事の第二ラウンド。やる方がいないから何とか頼むといわれて今回も引き受けたが、もうこれが終わったら、これ関係の仕事はもうやらない。今回限りにしよう。

 

いつか舅が私に言った。「あんだは、人の腹の底の底までを見とおしているな」。見えすぎるのだ。見えすぎるがゆえに、それだけ人に理解を示すこともでき、また気づかなくてもいいことを気づいては苦しむことにもなっている。

齢をとったせいか、さまざまなことが見えてきて、なにか普通に生きることが苦しく、怒ることも多くなっている。それは主に友人。これまで、理解しなくちゃ、そう、自分がひどいことをされていると気づいても、であるから正確には友人とはいえず、いわばライバルであるのかもしれないと思うが、そんな自分に対する理不尽に気づかぬふりをし、よき友人であろうとふるまってきた何人かの人たちなのだが、そんな付き合いに疲れてしまった。ほんとうに疲れてしまった。

まことに親友と言える友人は3人、一人はT市に、一人はM市に、そして一人はすぐ近所にいるM子だ。ライバルではなく、敵愾心もなく、安心して心からなんでも話せる信頼できる女友達だ。

ま、自分が意固地になっているという言い方見方をされている可能性もないではないが。何れ競争意識をもったが最後、友情は失われるという気が。利害関係がないことも肝心かもしれない。

いま夜10時半。ちょっとだけTVを点けてみる。明るいニュースは大阪と太谷だけかな。

災害の頻発化、大型化。誰しも気になる不安項目。それでもきょうは青空が広がった。感謝だった。

何やら音盤のコマーシャルがブログに入っているが、すでに手元には3000枚。これ以上買おうとは思わない。尤も、これらはすべて、息子が買って、置き所に困り、こちらに転送してきたものがほとんど。これ以上あっても置き所に困るのだ。すでに500枚は一昨年、売却済みだ。