財力と知名度のあるものが組んだとき

27日は、朝には、家周りの清掃。昼少し前、T子さんが気になり、歩こうと誘う。自分も年をとっていくのだが、彼女の運動不足が気がかりだ。3時ごろ帰宅。昼前に外出予定だった主人が、2時半に出かけるというメモ書きがあった。こんなに遅くに出かけたようだ。

 

Gホールの主催者から連絡なし。ああ、そうかと気づく。スポンサーの意向をおもんぱかって、あの方が、追い落としを図ったかもしれないと。これからは、とにかく私の立場を危うくするために全力をつくすだろうと察せられる。まだ恐ろしさの実感はないが、一所懸命やってきたことまでが傷つけられ、奪われてしまうかもしれない。しかし、私は、これまで、不正にひとから資料を受けたことは一度も無い。だまし取ったこともない。手練手管でひとに遣らせるようなことはしなかった。

何れ、財力と知名度のあるものが組んで陥れようとすることからは、私のような弱小者は逃れられない場合もあるだろう。どうなるかは、先行きを見るほかはない。

 

わたしは、この資料が、神がくださったものと人様に行ってきた。それはほんとうのように思う。ならば、これまでが人の画策で埋もれてしまうことはないだろうと思われる。

いずれにしろ、罪の世界が感じられる方に、もうこれ以上迎合はできない。たとえ自分がつぶされようともだ。

けさ様々悔い改めていた。教会に対する態度などなど。悔い改めるべきは、神にある自分の教会にある自分のありようと、家庭にある自分の有様かと思う。