何者かの支配

きのう18日は、午前の祈祷会は、教会には申し訳ないが、時間的に厳しく、このまま書籍から離れていては、なにもモノにならなくなると思い、図書館にこもることにした。バイクにセルフでガソリンを入れ、9時半ごろに図書館に着いたかと思う。隣に誰も座ってくれるなと念じながら、読み込み作業。12時にはそばを食べに。すぐに戻ったが、1時間は休憩。3時半まで、音楽事典、詩人たちの書籍をあたる。巽聖歌を何冊か見たが、内城先生のが、たいへんよいと見た。聖歌自身の詩集を書庫から出してもらったが、いまいちと感じる。日詰教会に関係していた。帰りはスーパーに立ち寄り、グラタンの材料、シーフードを買って5時近くの帰宅だったかと思う。家の中がむんとしていた。窓を開けてあるく。

 

きょう19日、午前中は、女性部の美術館見学があった。1名欠席のの連絡がなぜかわたしに来ていて、当日のチケット、ランチ注文と聞いていたので、連絡を遅らせていたこと、また連絡を伝えた方によく伝わっていなかったこともあり、ちょっとしたトラブルが。それが、チケット、ランチは私がHさんから聞いていたのとは、ちょっとやり方が違っていたためにであったこともある。それが、偶然、申し込んでいない方が急遽参加することとなり、解決。この偶然がちょっと不思議だった。帰宅は1時過ぎ。主人はでかけた。暑いことと、家の仕事があるにも関わらず、エンジンがかからず、図書館に行くことがいちばんと、2時は回っていたが、市立図書館へ。4時半まで、内容の精査。やはり、調べ物には、日々こういった時間をとることが大事だと思われる。

夜7時から、自治会の役員会。9時、みなさまと連れ立って帰宅。

 

中津川の散歩で、ほんとうに健康維持のためにやってきたことが、思わぬ誤解を生じていたのではないかということに気づき、少々うんざり。ばかばかしいことは気にするなと思いつつも、川原におりる気がしなくなっている自分に気づく。

 

きのう文学の会の代表から電話あり。「こんどの土曜日、きますか?」。会計を預かっているので、また休むわけにもいかない。もう人の悪口をいったり、人を貶めたりする一部の方々との付き合いは遠慮したい。年をとり、柔軟性がなくなったというよりは、その方をさえ傷つけまいと話を合わせることさえ辛いというよりは、もうしたくない、そうする意味をほんとうにもう覚えない。気が重い。すこしずつ身をひくことができればよいが。その方も誰かに言われてそうしているかもしれないし、そこにはかけ引きも感じられる。打算だ。そんな中にいるのもイヤになっている。