苛酷な中にも

今日11時頃、M市の友人から、いま盛岡に居て、たった今お嬢さんを入院させてきたところだと電話があった。医大まで出向き、一緒に昼食。インフルで面会禁止。

すゞ禅まで歩く。ザックが重そうだった。そのあと、南昌荘に行きたいというので、ザックをわたしが負った。すこしでも彼女の重荷が、軽減されればと思った。キリストの十字架を代わりに負ったシモンという男がいた。これもキリストの代わりを務めることかもしれない、そんな気がした。何も悪いことをしていない彼女が、なぜ苦労するのか、これが十字架だという気が。ほんとうにわからない。一生遊んで暮らして何ら苦労せず、それでけっこう一生を暮らせるものがいる。何という違いだろう。天国はその人のものなりと私には素直には言えない。地上にあっても、彼女を助け、彼女の荷を軽くしてほしい、そう思う。

帰宅して4時ごろだったろうか、ちょっと疲れた。横になってやすむ。認知症の親の介護もしている彼女。しかしキリストの愛に満たされることもあるのかもしれない。苛酷な中にも。