不思議

きのうは月曜日、そう、書かないでいると、きのうという時間さえもなかったかのごとこになるのだ。記憶からの抹殺ではないけれども、記さなければ無いと同じという側面もないではない。

 気圧のせいか、なかなか体が軽く動かない朝だった。だいたい日曜日はいそがしく、それなりに楽しくもあるけれども、気を遣って過ごす。礼拝という緊張感からの解放、いまなら楽器練習もけっこう神経が要る。そして午後からは文章クラブだった。6時帰宅。滅多には無い遅さだ。

 

きのう月曜日は、午前中がとにかくだるいというほどでもないけれども、しかし、そんなことではいけないと思いなおし、片づけ、トイレ掃除、そして昼時は、主人がいないので、近所のT子さんが待っているだろうと、電話をし、6000歩の散歩に。帰りに、入院中の友達におにぎりが食べたいといっていたので、二つ購入し、クリスマスカード、プレゼントの本とともに届ける。あえるは会えたのだが、すこしはなしただけで、とても疲れたようすだったので、はっきりと「きょうはこれで」と言っていいからねとはなす。帰り道、恐らくは気温が氷点下になっていたと思うが、かなり冷え込んでいた。彼女の試練を思い涙が出てたまらなかった。

 

今朝になって、昨夜のうちにメールがYさんから来ていた。彼女がいうに、がんだった別のほうのYさんが、治ったという連絡だった。リハビリに励んでいるという。こんなこともあるのだ。

 

日曜の朝には、友だち二人がキャンドルサービスに行きたいと電話をくれ、月曜日の夕刻には、日曜のクリスマス祝会に行きたいと、N・Sさんから電話があった。何か不思議な感じがした。みな神に委ねていたのだけれども。

 

息子たちが28日に来る予定。守られるように。