これをやれるのは自分だけ

 珍しく日中に更新しようとしたところが、記事が消えてしまった。操作したが戻らなかった。20時、記録する。

 

 今朝、沿岸にいる友達から電話があった。22日にお嬢さんがこちらの病院に出てくるから、対応してほしいとの依頼だった。OKした。前回来た時、ランチをしたが、やはり階段は手を引いてあげないと危ないと思った。
 神は平等だろうか。これほどの苦労を背負った彼女を、わたしはみな平等に創造したと神は仰せられるのだろうか。わたしにはわからない。神の事で最もわからないのは、この事だ。DVの夫とやっと離婚。病気の子供たち。認知症の母親の介護。
  なぜ自分が関わっているのか、成り行き、めぐりあわせ、といったところか。自分でもどこまで付き合いきれるかわからない、ちょっと大変ではあるけれども、できるところを、できるあいだは協力しようと思う。

 

 朝のうちに産直に。野菜、果物、きのこ。二男に送るコンタクトにすこし詰める。ヤマトで発送。

 

県史、市史を開く。賢治の詩論を開く。詩の創作上で、刺されるところがあった。また近ごろ自分もこう考えてるなと思ったのは、つたなくとも自分の思ったことを自分の言葉で、という点だ。ただ、思ったことを思った通りに書くというのは非常に難しい。

 

 また不必要な衣類を分別、あすゴミに出せるように袋詰めにする。午後からは図書館に、と思っていたが、何か出かける気にもなれず、結局いま借りている本を返せるように、付箋のページのコピーを取る。

 時代背景を書かねばならないところだが、いったいどうやって800字内におさめられるのか、それが問題。

 

 片づけを始めると、そちこち片づけたいところが眼に入ってくる。ついついやってしまう。そんなことで午後はおしまい。こんなことでどうなるのだ。この調べ物をやれるのは自分、やれるのは自分しかいないのだ。