平和が続いて欲しい

朝ゆっくりめに起床。6時ちょっと前。真夜中に、といっても夕べの10時23分だった、地震だと起こされたが、秋田だった。大仙市神宮で震度5強。疲れていたのでぐっすり眠っていた。きのう会った友達の前で、ひどく眠かったが、我慢しているうちに、つい居眠りしてしまったのだ。何たる失態。友達が、「もう帰ろうか」と。ほんとうに失礼してしまった。彼女が、ナナックの向かいのコンビニ前に置いてある自転車のところまで私を送り、彼女はバスで駅前に。夕方5時何分かのバスに乗るといっていた。九戸にはコンビニ、ラーメン屋もないそう。純然たる農村暮らしだ。地域産業は養鶏らしい。

 

きょうは、東側の庭の草があまりにひどいので草取り。朝には地域の資源回収。

ほんとうは日常的に資料を見ているべきなのだが、なかなかそうもいかない。釜石からマツタケが届く。宛名が主人と近くにいる小姑の名になっている。3本のマツタケを二軒で分ける。有難いことではあるけれども、少々頭がいたい。いつも小姑さんにぜんぶを見せて、良い方をあげることにしている。大小来た時には、大きい方を渡すようにしている。こうすれば不満は出ないだろう。それにしても、採ったなら自分で売るなりすればよいものを、毎年送ってくれる。何をお礼に送ったらよいものか。マツタケを買って食べることはまずない。

 

夕方、入院中の友達に、私の書いたものを読みたいというので、文芸誌と、主人の児童文学のコピーと葡萄を届ける。彼女のためと、病から守られている者の側の感謝の気持ちだ。

 

 いつも夕方5時か6時帰宅。大曲の花火の時は真夜中の0時半。あとは毎日毎日在宅か出かけても5時か6時帰宅。自治会の会議の時は時として20時になることも。思えば、ずっとこの暮らし。そして終活が始まっている。勝手に始めている。この世の終わりが環境破壊による災害になるか、戦争になるか、原発か、核か、寿命か、どれが原因になるだろうかなどと考えてしまった。大変な世の中になったものだ。