図書館中心の一日。といっても、主人が帰り、昼食を早い目に出してから、バイクで。結局インしたのは12時半ごろか。岩手の近代教育史から、意外にはやく調査関連の人物の経歴、役職を拾い上げる。下橋中学校の100年史からも面白いものが見つかった。岩手公論、3か所拾うことができた。それと原日記から関連項目を埋めることができた。新聞関連で、資料請求したところ、重要資料であるようで、何と「研究室の方でご覧いただきます」とのこと。立派な箱に入ったものを、丁寧に開くと、何と手書きの資料、それも、大学ノートに書き写したもの。10冊ばかり。絶版となった新聞などだ。初めて見る。まったくの草書体で読解に時間を要する。しかし、ここまで本件に時間を投じるよりも賢治か啄木にでも時間を注ぎこんだ方がよくはないかとという想いが頭をかすめる。それはそれとして、様々な項目を抱え、場合場合によって開くべき資料がほとんど直感的に探すことができるようになったのも事実。これは私にとってパズルやゲームみたいなものだ。時間を持て余さずに済む。夢中になっていられる。感謝すべきなのだろう。

宗教関係を扱うことが望まれてもいるけれども、これも神の創った世界の一部には違いない。

 

今朝は5時から家まわりを掃き、コンクリートの間に生えた草を除去。運動不足。裏庭は草がびっしり。専ら主人は農業経営。農業人になりきれないところを見ると、これも玩具の一つといったところ。しかし、こちらは植物相手。自然との勝負という側面も。テニスには余念がない。

 

息子たち、暑い中で頑張っているに違いない。