齢相応

強烈な5月の日差し。きょうは役目上参加が義務付けられている集いを、何と火曜日と勘違い、出かけてみると誰も来ていない。気づいて図書館へ行こうとしたが、駅ビルを30分ばかり様子見。ずいぶんと観光客が多いような。最近食べ物のテナントを一気に増やしたようだ。

図書館に入り、調査項目の関連資料として挙げられている著書を次つぎに検索したが、どれもこれも無し。やっと1冊、幸田文の「おとうと」、これは書庫。何と結核という病の日常の状態を傍証するために使われているだけ。このような引証のされ方に驚く。読むまでもなかったと思いつつも100頁を館内で読む。今に通じる内容に惹きつけられる。胸にじんとくるものがあった。これも天の采配か。

17時に図書館を出て、本町にあるスーパーに立ち寄り、食材を購入。近くのマンション住まいの従妹のN子と入り口ですれ違う。一瞬だれだっけ?私の表情を察して、「N子です!!」。いつから眼鏡をかけちゃったの? ずいぶんと表情が違って見える。逆に眼鏡をはずした私を間違えなかったということは、どうやっても違いはないというところか。

食事を終えて書類を作成。

さて今からどう過ごすか。近ごろはコメントも無し。メールも無し。こんなもんでしょう。これが齢相応というものかも。そう考えればむしろ気が休まる。大変でもきつくても、人のために書いていたことがある。もはやそれも大昔のことになってしまった。ただ思うのは、どん底にある方のためには、多少の犠牲を払っても、こちらが出費をするとしても、やって差し上げる価値はあると今でも思う。この類は公開すべきではなく公開してはならないことが多い。また誰にでも、というわけにはいかないことも現実としてある。