21日は

 21日は、朝のうちに、一昨日掘りあげた芙蓉の一部をやっと植えこむ。10時、バイクで教会へ。途中コンビニで5000円をこまくする。そのとき、ヘルメットを落としてしまい、フードの左側面を欠いてしまう。踏切を渡るたびに、同級生が遭遇したもう40年以上も前の列車との衝突大事故を思い出す。誰のためか、きょうも踏切に造花の花が置いてあった。

 教会でAさんが、「ラジオ聞いたよ」と。皆さんが一瞬何のことと注意を向けてくれる。

 午後の集会には出ずにまっすぐ帰宅。まもなく主人が畑から帰宅。30℃はあったろう。昼食を出し、14時ごろ、ガス台を買いに行く。15時帰宅。すぐに主人が設置。16時、仕事関係の方が見えられ、聴き取りながら書類を作成。16時20分ごろ入院している友人から電話がある。30分間はなす。そのあと夕食準備。とにかく暑いというよりは熱い一日だった。

 息子たちのことが想われる。

今までお世話になった方々に、言葉を尽くせないできたこと、有言不実行が多かったことがしきりに悔やまれる。しかしあまりに忙しいのも事実。不履行のみが喧伝され非難の種となっているだろう。今後は何々をしますと先の約束は一切できないことを思う。

 いったい、自分を生きたという実感のない人生ともなっている。教会に走り、人さまのために走り、それも価値がなかったとは思わないが、いったいこれで良かったのかどうか確信が持てないでいる。体力がいまいちだ。そして無意味に深く考えすぎる性格があだとなっている。