身軽になりたい

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  今朝は5時起きで別なブログを書き、6時半には公開。10時に出かけるまでに例の文学雑誌を読む。なにか落ち着かず、食事の後始末やら洗濯やら、しかしこれは主婦業という業務であって、仕事として行うのが当然。どうでもなどという意識をいったん持ったが最後、とことん怠けるようになるに違いない。だから主婦業も業務と弁えている。

 10時に出かけ、きょうは2時半帰宅。包帯づくりなどの作業もあった。主人はフルートを鳴らしていたが、その音の聞こえる周囲での読書はなかなか忍耐を要する。ほどなく執筆に入ってからは、こちらも静かに読んでいることができた。

 それにしても、家の改築があるのかないのか、別に居住できるアパートなりマンションなりに移るものなのかは、主人の決断一つにかかっている。息子たちには移転もありうると主人が話をしていた。

 夕食を終えて、書きたいこと記録できることを留めておこうかとキーを叩いている。主人はいま電話中。自治会の存続問題についてだ。自治会役員のなり手がない。私も役員の一人。いま揺らいでいるときに、辞めると宣言するわけにもいかず、あと3年留まることにしたが、今の状況では、これから先はもっと大変になるだろう。誰もが誰かにやらせておけばいいと思っている。仕事があります。介護があります。病気です。このあたりは仕方がないとして、そんなものを引き受けたらいつまでもやらされる、自由時間(遊び時間)がなくなるというのが本音と思われる。近くの町内では、自治会長と民生委員をやらざるを得ず、あまりに大変なので、何とか役員を替わってやってもらえないかと、28人に頼んだところが全員に断られたという。80歳は回っていらっしゃるかにお見受けする。民生委員を放棄したところ、市の福祉課長がやってきて頭を下げられ、また引き受けることにしたのだとか。自分の未来図を見た気がした。

 私がこの役員を引き受けた理由は、博愛からでもなく福祉の一端を担おうとしたからでもなく、役員を探しかねている主人を見るに見かね、人ではなく、主人をたすけるためであった。それが、数々の会議出席、講演会、講習会に動員がかかるようになり、また行政の期待から、サロンの開設、運営も増えた。またその他に経済センサス、労働力調査国勢調査、これも人手がなく引き受けたことであった。この中でも労働力調査は、寒中でもあり、また働きに出た方々の帰宅時間もわからず、非常な大変さがあった。年末になって何もしない怠けものと自分を評価したけれども、よくよく振り返ってみると、このほかにも、たとえ、任務とは関係ないと思っても、これはやって差し上げねばならないと思われることがしばしば飛び込んできたこともあり、決して怠けてはいなかったどころか、疲れていたといった方がいい。その疲れを自覚していなかったのだ。労働力提供もあった。すこし疲れている。一昨年はこれにもう二つの役割があった。それに没頭しているうちに、役員として見逃してしまったことがあり、表向きはそう責められなかったが、しっかりと仕事をしてこられた先輩がたからこっぴどく言われていたことを後で知った。それがもとで春先にはほとんど鬱状態。エンジンがかからずに困った。いまはすこし回復している。