何かが変、どこかが変

 しかし世の中変わったよね。ここ何年となく見出しすらも見なかった代表的な文学雑誌を読んでみた。一応読んでおかなくちゃと思ってね。新しい家族の模倣というか、高校生がそれを想定して、いわば実演して見せているみたいな。女子高校生1が父親で、同じクラスの女子高校生2が母親で、また同じ女子高校生3が子供といった親子を演じているという設定。確かに奇妙な新しさはあるんだけど、心打つ真実に出会うことは、まだ半分しか読んでいないから、これをいうのは早計なんだけれども、実のところ、この小説にかける時間は虚しいに近いと覚えつつも、一応今どきを知っておかなければと、ひび割れた骨董品のわたしは、最後まで読み通そうと思っているわけです。

 それこそ、価値観の崩壊、転倒、混迷が起きていることに気づかずに、ただただ虚無の世界を襲広げようと躍起になっている文学の世界なのだ。古いと言われようと、おばんといわれようと、そういう感じしか受けない。ただ最後まで読んだならなにがしかに出会うこともあるかと、一抹の期待を抱かないでもない。なにしろ文芸誌上100頁を超える作品であってみれば、知力も体力もかなり要したはず。

 人間のうちには、ポルノを出してみたり、奇態を持ち出さずとも、場面場面を持たせられる力ってものが必ずや備えられてあるって気がする。

 世の中がもはや逆戻りできない実情にすべてを合わせざるをえない実態になっており、どうにもこうにも、にっちもさっちもいかなくなっている。本来的なすがたがどうあるべきかなんていったら笑われるだけの可笑しな時代になっている。

 変だ、何かが変だ。

 変だ、どこかが変だ。

 変すぎることがどんどん当たり前になっていくことが、どうにもこうにも変なのだ。