もっと質素な暮らしでも

お茶の教室からの申し出に、正式な申し込みの方はなし。女性部の若い方々の参加はなく、お元気だった方々が高齢になられ、長時間の正座などが大変になってきている。それでも、ぎりぎりには、何名かの申し込みがあると思われる。

 

きょうは11時ぎりぎりまで裏庭の草取り。10時に慌ててシャワーを浴びて身支度。11時ぎりぎりに岩銀前に。民生の方がふたりで車で待っていてくれた。ランチとミニディ用買い物を終えて5時帰宅になり、ちょっとランチ後のお茶時間が長かったと思ったが、しかし、ご主人に先立たれた先輩方がほとんどで、話が弾んだことはよかったのでは。Iさんは、3回脳梗塞をやっている。何れも点滴で命拾い。3回目はさすがに一か月の入院となったらしい。原因は介護のストレスから、血圧が一気に200に上昇、血管が詰まっていたのだとか。

 

福田こうへいの追っかけをし、300万円投じた専業主婦のはなしも出た。キャッシュをプレゼント、覚えてもらい、握手をしてもらうことに幸せを感じているのだとか。このような方に、金を被災者に回そうとの発想はなさそう。世の中さまざま。

 

買い物をして最寄りのコンビニ近くで下ろしてもらう。炊事のない方々は気楽そう。

 

夜に被災地の現在の生活を見て、自分たちも、もうすこし食事のレベルを落としてもいいのでは、そんな気がした。

遅すぎた気づき

13日木耀。明日から八幡宮祭りだが、山車が歩いている。

今朝9時半までに市役所に行こうとしたら、上ノ橋方面に山車が見えたので迂回。皆さんが仕事の袋を持参していたので、あら、何か忘れたかしらと、どきっとしたが、持参すべき指定されたものはなかった。今回は初日は体不調と重なり、ちょっとしんどい思いをしたが、後は難なく片付けられそうだ。ホットラインでちょっと買い物。12時近く帰宅。

午後一番に、高齢者の方々へお配りする蜂蜜が8個届き、すぐに配って歩いた。2個だけは明日になるかなと思いきや、ちょうどお葬儀かなにかから帰ってこられ、玄関先でお渡しすることができた。これでぜんぶ終了。一日で届け切ったのは初めて。

後は、市の仕事を片付ける。

 

臥せっているあいだに、裏庭が草ぼうぼう。こぼれた花の種がどうにかなりそうな勢い。何とかせねば。しかし、これをやっていると、また種々に遅れが。ジレンマ。

それでも、夕方には、ヒマワリ、ほんとうに堂々と威厳をもって咲いてくれたヒマワリを整理。種を収穫する。種を収穫するにも時期というものがあることを教えられる。あるものはカビが生え、あるものは虫だらけ。しかし、いちばん丈が高く咲いた種は、きれいにびっしりと詰まっており、虫も付いていなかった。

そろそろ5時に15分前、夕食準備。あとは資料読み込みで時間をつぶすことに。

昨年、極端なまでに刈り込んだ葡萄に、たったの数粒の実が。

また小学校から、授業参観の案内。そこまで自治会役員のサポート、自分はサポート出来てはいないと思っているが、それが必要なものか。やたら呼び出しが多いという感じだ。しかし、来春で退任。それが決まっているだけでも、随分と重しが違う。

 

資料を借りている方が気になっている。借りるときに、こんなにできるかなと、正直自信がないままにお借りしてしまったことを自省。その時は、こんなに忙しくなるとは思わなかったし、またさまざま文学関係、他で苦しむことになるとは思ってもいなかった。何れ何とかしなくては。どちらにしろ、文芸誌にこれ以上書くことには意味がないかもしれないと思う。一応編集委員と名は記されているが、編集の相談を受けたことはなく、常に事後承諾のみであった。私が関わったのは校正と発送と、発刊時に約3分の一にあたる負担金を支払うことのみだった。いったい誰の意思、意向によって文芸誌が編纂されていたものか。今頃になって、ああそうかと気づくことになっている。遅すぎる気づきだ。

 

 

利害関係のない競争心のないよき関係

午前、迷うが、Yさん、Iさんが行くというので、私も教会へ。息子たちのことを思うときには、やはり、神に祈っている。

朝は運動不足、体が弱体化するのを恐れ、久方ぶりに歩く。肴町ホットラインで民生のHさんと出会う。一回りして帰宅。外回りをちょっと掃いて家に入り、朝食の支度。

午前中は教会。バイクで、ゆっくり、ゆっくり。献金のお祈りを当てられたことに、ちょっと違和感。Iさんが、皆さんにおいしいというパンを買ってきてくださった。牧師夫人が葡萄を出してくださった。

1時に帰宅。主人は2時帰宅。昼食を出す。

資料の読み込み。もうちょっときちんと整理する必要あり。

明日は市役所に行かねばならない。仕事の第二ラウンド。やる方がいないから何とか頼むといわれて今回も引き受けたが、もうこれが終わったら、これ関係の仕事はもうやらない。今回限りにしよう。

 

いつか舅が私に言った。「あんだは、人の腹の底の底までを見とおしているな」。見えすぎるのだ。見えすぎるがゆえに、それだけ人に理解を示すこともでき、また気づかなくてもいいことを気づいては苦しむことにもなっている。

齢をとったせいか、さまざまなことが見えてきて、なにか普通に生きることが苦しく、怒ることも多くなっている。それは主に友人。これまで、理解しなくちゃ、そう、自分がひどいことをされていると気づいても、であるから正確には友人とはいえず、いわばライバルであるのかもしれないと思うが、そんな自分に対する理不尽に気づかぬふりをし、よき友人であろうとふるまってきた何人かの人たちなのだが、そんな付き合いに疲れてしまった。ほんとうに疲れてしまった。

まことに親友と言える友人は3人、一人はT市に、一人はM市に、そして一人はすぐ近所にいるM子だ。ライバルではなく、敵愾心もなく、安心して心からなんでも話せる信頼できる女友達だ。

ま、自分が意固地になっているという言い方見方をされている可能性もないではないが。何れ競争意識をもったが最後、友情は失われるという気が。利害関係がないことも肝心かもしれない。

いま夜10時半。ちょっとだけTVを点けてみる。明るいニュースは大阪と太谷だけかな。

災害の頻発化、大型化。誰しも気になる不安項目。それでもきょうは青空が広がった。感謝だった。

何やら音盤のコマーシャルがブログに入っているが、すでに手元には3000枚。これ以上買おうとは思わない。尤も、これらはすべて、息子が買って、置き所に困り、こちらに転送してきたものがほとんど。これ以上あっても置き所に困るのだ。すでに500枚は一昨年、売却済みだ。

運動公園散歩

11日のきょう、久方ぶりの陽光が。運動不足を実感。午前は、3軒隣のT子さんを誘って、みたけの運動公園まで行き、散歩。噴水、庭園と周り、東屋で休んでいると、リスがいるとT子さんが指さした。みると赤茶のリスのしっぽが。散歩はとても喜んでくださった。青山の生協で買い物し、12時少し前に帰宅。

TVが壊れたが、どこの修理屋さんが?という問い合わせがあったらしい。これって民生委員の仕事? 娘さんもいらっしゃるはず。主人がそれなりに対応してくれたらしい。私が電話をしたときには、自分で探して頼んだと仰っていた。

主人がでかけるのを見送って、自転車で亡き母の墓参り。昭和二十七年九月十二日没、三十六歳。なんという若さだろう。涙がこぼれた。

その後、以前民生をしていたYさんに電話し、近況をはなしたいというと、Yさんの最寄りの菓子店まで出てきてくださった。5時過ぎに帰宅。久方ぶりに楽しかった。6時ごろか、民生の別なYさん、8時ごろ、民生のIさんから14日に有志と会食し、そののち高齢者の方々の作品作りに使う材料を買い物しましょとの連絡。14日11時には、岩銀前までYさん、Aさんが迎えに来てくださるとのこと。

 

9月は

きのう9日、日曜日は、午前教会。会員の皆様に会うことができよかった。自分がいま教会にいることが、果たしてどうなのかと思われることもあるが、この教会を去るわけにはいかないのだろうという想いがある。複雑なところだ。

 

ずっと臥せっていることが多かったこの1週間、もう風邪は沈静化した感じ。体力がいまいち。運動不足がたたっているようだ。昨夜は読書。堀内敬三の下巻を、何といつか図書館からバイクで帰る途中で、あろうことか落とした、それしか考えられないのだが、この貴重な本に住所氏名を書いていたわけでもなく、交番などに届こうはずもなく、価値の分からない人にとっては、ただの汚い古本でしかないのだ。仕方なくまたネット購入。しかし、よくこれだけの記録をのこしてくれたものと感じ入りながら読み、また真夜中2時ごろに目が覚めて読んだ。真夜中にけっこう目が覚めてしまった。マイナーなことは考えないようにと思っても……それでも薬で頭が朦朧とまではいかないが、ぼんやり加減のほうが、さまざまなことに悩まず、楽だったように思う。

 

きょうは10日、月曜日。こんな雨模様の日にも、もう出勤する方々はそれぞれの職場に落ち着いているのだ。すこし歩きたいが、この天気では。水曜日は、12日で、亡き母の命日。わたしを抱いたまま逝った母だ。もう母の2倍近く生きてしまった私が、まだたったこの程度で申し訳なく思う。しかし父は、もし生きていたら、私が文学というか、どこかに書くスペースを得て、やっていることを喜んでくれたに違いない。この12日は新生記念日、15日は洗礼記念日だ。この9月は息子たちが、洗礼を受けた月でもある。

 

 

世間から隔絶

夕べは久方ぶりに、クロイツェルは庄司沙也加、ホ短調は諏訪内をじっくり聴く、すばらしい才能。本気でクラシックを聴くと、膨大な時間をいつの間にか失う、ということばは適切でないが、とにかく時間がかかるのだ。けれども、確かに心満たされる。誰もかれもがストラッド。もう1600,1700年代で最高のヴァイオリンは出尽くしたのか。古いものが今に新しく輝く好例だ。

ホ短調は、ただただ諏訪内の絃に感服していたはずが、今朝目をさましたときには、オケ、あれはN響だが、そちらのソロを支える音程がビーっと心に通ったのは自分でも意外だった。

きょうは市場公開で買い物の予定。風邪は治りきってはいない。あとは、家で静かに過ごすつもり。世間と隔絶、断絶してしまったような心境にもなっている。

抗生物質三日分

12日水、祈り会欠席。調子が悪く、申し訳ないと思いつつ。

抗生物質を三日分出してもらう。健康診断も。

午後、休眠。

13日木、食事したく除き全休。咳がなかなか。

14日金、昨日に同じ。けさのタイムスに書いた記事が載った。見出しにびっくりしたが、見出しだけつけないで出している自分の責任。しかし、載せていただいていることがどれほどに有難いことかを思う。

今を生きるためにも必要という感じだ。これが終われば、たぶん仕事はないかもしれない。そのときこそ、いかに生きるかが自分に問わねばならないのかも。かなり厳しい実情となるだろう。

本を出そうか、出版費はある。しかし、このような時代となっているいま、そのことに価値があるのかどうか。7クラスは、これで終わりとは思われない。12号以上がやってくるような、空恐ろしさ。どこかで腹をくくるも、生き抜けるかは自信なし。

もはや出版競争などしている場合かとすら思われるこの頃だ。体力のなさも実感している。