たくさん出会った

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美容院に行った。終わって階段を降りたところで、近所のいつも一緒に散歩するT・Tさんにばったり。彼女もきょう、髪を整えに。帰りに銀行に立ち寄ると、主人の親戚筋のK呉服店だったSさんにばったり。窓口を終えて、お茶に?というと、何か買ってあげたいと、おさしみを買ってくださった。そこで私は彼女に花の鉢植えをプレゼント。食事がいいところがあるというのでご一緒する。そこで一人で食事をしていたのがSさんの妹のY・Mさん。娘の一人は美大を出て挿絵作家、W大学を出た娘は、某新聞社にいるらしい。京都方面だったかな。本家のSさんはK帝大だったとか、さまざま聴いた。Sさんの娘さんが骨折しているのだとか。話しているうちに、向こうのテーブルで三人で楽しそうに食事をしているのが高校の同期会で幹事をしているTさん。また5月にTさん宅で幹事会がある。きょうは4人もの知っている人々に会った。何というよい日だろうと思った。そういえばもう一人、買い物のときSさんに近づいてきたのがSさんの弟だった。これは深刻でがんの末期であすにも入院ということ。お見舞いに行かなくてはならない。これで5人。2時間の時間帯で5人にも。そして2時半帰宅。原稿書きちょっと。そして1900年の社会主義協会設立から平民社が潰れるまでの一連を辿る。当時の社会主義者らの骨っ節の太さに感銘と脅威を覚える。当時はとにかく骨があったなと。春陽の影響はどこにあったかの大まかを掴んだ気も。

 

 今朝は40分ほどウォーキング。すわりっきりになり、足が弱っているのを感じる。

 

寒い

ここのところ肌寒い日々。雨が降っているあいだは本を広げ、止んだところを見計らって草取り。一日中家に。

 夕刻に長橋町のN・Sさんから電話。相談と仰っていたが、私を元気づけるための電話ではなかったか。1時間ばかり話をする。

 

 下は春子谷地に行ったとき。この時の写真ばかりになっている。乗り出して撮ろうとという気構えが少々希薄になっている。

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無為でいることに抗う

午前、仕事3件。地域関係の書類提出2、会場確保。

午後取材。カルテットのメンバーをより固めるため。お一人暮らしの女性。いまは書道をボランティアに生かす。70までは猛烈に働き、それ以降は無為に暮らすことに抗うの戦いの日々だったとか。ひと昔まえの女性はすごい。

帰途、買い物をし、16時帰宅。草取りで気分転換。

一日中在宅

 なぜこうもしばしば書いた記事が書き消えてしまうのか。何かキーの押し方が甘いのかもしれない。

 きのうは、予定通り11時火葬。奥様にご挨拶しながら胸が痛んだ。お孫様たちが並んでいらしたので、すこし安心。もうお一方は、市がいう事には、どなたか身内の方が来て、最期の手続きなどなさったのではないかとのこと。

 午後は1時20分に家を出て、自転車で取材。内加賀野で、M呉服店さんのすぐ近くだったのにはびっくり。4万点の資料を保管しておられるとか。関東大震災の研究、明治43年の水害について興味深く聴く。3時半帰宅。そういえば、ここ数年来、20時半帰宅は役員会関係の会議のみ。遅くとも17時か18時には必ず帰宅している。これが普通なのだろう。働いている方々は、よく遅くまで外にいらっしゃる。疲れるだろうなと思う。

 

 きょうは一日中在宅。一通り昨日の資料などに目を通し、またまた誤って記載されているところを発見。春陽の籠の鳥が作曲されたのは大正11年だ。それが、その資料には12年と記載されていた。確かな出典を記す必要を強く思う。午後2時ごろから掃除をしだしたところが、これが止まらず、とうとう夕方5時までやってしまった。お三度も一か月の要する延べ時間はどれぐらいだろう。

 

 

火葬

 きのう、ブログを書いたところが、消えてしまった。その日のうちにまた書くのは大変。それできょうに持ち越している。

昨日は、早朝に町内の方が二人亡くなっていることが新聞に。ああ、また亡くなったか、それで、立場上、関わっていることもあり、朝のうちに、ご自宅に出向く。今日11時の火葬。もうすぐ出かけなければならないのだが。

 それと、昨日は、午後4時から八幡にある料理屋で、会議と総会、新年の懇親会。20時のお開きとなり、20時半帰宅。

 

 きょうは11時からの火葬、そして1時20分には、春陽の資料をもっているという方への取材。比較的近くにお住いのようだ。

さてさて……

 6時起きで7時半まで庭の草取り。朝食を終えて9時には図書館へ向かおうと思っていたのだが、洗濯やら、お弁当がいいというので作り直したりで、しているうちにM・Sさんがひょっこり。連載が決まったお祝いだと、きれいな水引のかかった菓子といちごを持参くださった。それと彼女の随筆が載った新聞の切り抜きをもってきてくださった。文学仲間以外の友人関係からこんなに喜んでいただいた事が嬉しかった。縁側の戸を開けて休んでいただいた。聴けば彼女も春陽と同じ刈屋出身だとか。これもまた何かのご縁と思われる。小4まで住んでいたらしい。彼女を送って、こんどは、カスミソウの種を播こうと思い立ち、種苗トレイにそれようの土を注ぎ、乾燥しきっているので、霧吹きで土を湿らせようとしたのだが、霧吹きが見つから

ない。仕方なくジョーロで静かに水を含ませる。種を埋め込むまでには至らなかった。やっと軽い昼食を摂って、やっと13時半に、ことし初めてバイクで図書館へ。宮古市年表で芝居小屋トキワ館を当たっていくと、様々に使われていた。幻燈をやった日が出ており、出典が岩毎とあったので、岩手毎日のその日を見ると、記事が出ていなかった。新聞のページが欠番だったのかどうか。さてさて……。16時にマイクロ終了。書架を通りかかり、帝室雅楽部関連書籍を開くうちに16時半。春陽が出ている本を一冊借りて出る。

 途中ジョイスに立ち寄り、食材を買って17時帰宅。食事準備。