子供会歓送迎会

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 ちょっと遅いけれど、こんな写真もあります。お雛様って、なぜかみんな真正面から写すんですよね。ちょっと角度をつけると立体感が出るんですけどね。

 

 きょうは午前中11時半から子供会の歓送迎会に出席予定が、自治会の事で大切な用事で出かける前に来客があった。コーヒーを淹れる。それから繕い物をしていたところ、時間が迫って、大慌てに慌てて来客と主人と共に近くのセンターに行く。新入生、卒業生、各学年の子供たちの挨拶と目標を聴く。みんな元気いっぱい。ビンゴゲームで親子併せて71人(子供33人、新1年生6人)が大いに盛り上がった。そこで頂いたお弁当を摂る。

 帰宅して掃除機をかけて、すこし休もうかと思ったが、こんど仕事として書かねばならない参考図書にじっくり注意深く目を通す。たとえ原稿料がいくらであろうと問題ではない。これによって緊張感に支えられ、学んだ分を獲得することができる。とにかく漫然と過ごさずにいられることが有難い。

 夕方には、家人が入院したので、ゴミ当番を替わってほしいとある方が玄関先に見えた。心が痛む。

 夜には息子とTV電話。便利な世の中になったものだ。友人の結婚式があり、GWに早めに帰るとか。

 いまTVで「北の国から」をやっている。涙の出るはなし。しかし、私はやはり本を読んでいた方がよさそうだ。目が痛くならないといいけれど。

数十年ぶりにミステリーを読む

 また雪が降った。午前、午後ともに「アレックスという女」。ミステリーは20代に読んだきり。欲望、しかも人間としては最悪の欲望の犠牲になり、殺人鬼となった女の命を賭けた最後の謀が、現実にこう警察を欺けるかが? ただ、よくここまでストーリー展開をさせるものと思う。図書館の新刊としてあったので最後まで読んだが、これに時間を費やす価値があったかどうかは? 何れ今はこういったものが世に受けているのは確かなようだ。

 

 2日の会議のときに、私のところに来るべき資料が、別な担当者に混じっていたということで、午後にHさんが届けてくださった。30分ほどのコーヒーブレイクとなった。

 やっと暖かくなったと思ったら、今夜はまた-6℃になるらしい。

 

 今朝は6時半ごろに来客。昨年までは、5時6時起きしていたのが、このごろは寒いときには無理をしないということで、ゆっくり起きている。何事かと主人が出てみると、町内の方が、いまならこの方の家の隣の方がいると教えに来てくれたのだった。これまで意思疎通のない方が心を開いてこうして協力くださることが嬉しかった。
 それから夕方5時ごろだったと思うが、入院している友達から電話があった。元気そうだったので嬉しく思った。福寿草が出たことや、会議に遅刻したこと、まだまだ道がよくなかったりもすることを話す。不思議なことに、きょうちょこちょことこの友達のことを思い出していた。手紙を書かなくちゃと思っていた矢先だった。以心伝心というのだろう。時として、人と人の間には、何か通じる周波が通っているという気がする。

 

明日は午前は、子供会主催の歓送迎会がある。大館町にはいかず、こちらへの参加となる。

 

チューリップ

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 きょうはもう出かけないなと思うところで、といっても夕方5時には必ず帰宅するのだが。たまには夜景でも見たい、たまには素敵なレストランでディナーもしたいと思わないではないが、今朝なぜか難民の方々の姿が浮かんでいた。どうして、どうしてこっちはこんなに平穏で、一方では飢えや危険にさらされてるの? もし逆の立場だったらとても耐えられないだろう。自分があっちじゃなくてよかったなんてとても言えるものではない。ただ少なくとも今の自分の生活に不平不満を言わないことかもしれない。自分にはこれでもう過ぎている。否、これ以上生活の質が低下するとしても文句はいわない。そういう気持ちで、せめてそんな心持でいること。

 

 きょうは午前中はなぜか食事作りと、そして息抜きに娯楽系の読書。「アレックスという女」。この筋立てがなかなか考えられていて、ちょっとむごたらしいことが多いのだが、次つぎに状況が転回。こういう書き方もあるのだなと。個性の書き分けもはっきりとしている。アレックスが意外や意外、息抜きの娯楽本にはぴったり。これも図書館の新刊コーナーから。

 

 午後は、水晶堂ビルまで。そして、娘を3・11で失った方のところへチューリップを届ける。もう6年経とうとしている。

きょうの後の時間は、読書、そう近ごろあまり音楽を聴いていないが。家事ぐらいになるのか。

 

 

自転車がパンク

 午前中は何していたのか、そう、借りてきた、図書館の書庫でカビがはえる寸前? の本ばかりを閉じたり開いたり、二階に置いてある本を取りに何度も階段を上ったり下りたり、読書というよりは、階段の上り下りの運動をしているみたいだった。午後は定例会議。自転車で行こうとしたら後輪がパンク。いやはや。すこし遅刻。桜餅とクッキーとお茶と資料が席に置いてあった。

 

本の掻き集め

昨日も更新したのだが、もうすこしというところで記事を消失、バックファイルで残っていはしないかと思って慌ててキーを押してみたが、きれいさっぱり消えていた。もう疲れてしまって書き直す気力視力が続かなかった。今月からは忙しくなりそうだが、いつどこで何をしてたか、備忘録として、また誰かに、何々していたのはいつだっけ? と訊かれたときに、何時でもこたえられるようにしたいと、いわば日記なのだが書いておきたいと思っている。ブログを立ちあげたときは、ここでは、本の紹介をしたい、著書専門ブログにしようと思っていたのだが、途中から中身が変容してしまった。

 きのうは、快晴。文芸誌の宣伝に某新聞社2か所を2人で訪れるつもりが、私の方が待ち合わせ時間を取り違えてしまい、間に合わなくなって一人で行ってくれるよう頼んだのだった。相方が後に行った新聞社から、相方から電話が入った。先人について書けるか?という問い合わせだった。

 きょうは午前中は大館町、午後は、図書館だった。5時近くまでかかって関連図書を掻き集め、館外貸し出し禁止の本を50ページだけ読む。図書館の方が協力くださったので、無駄な時間が省けた。関連図書7冊ばかり借りて駅前から17時5分発の水道橋行きで帰宅。

「運命の海に出会って  レイチェル・カーソン」

きのうは午前中に1時間ばかり写真を撮りにいったきり。その他の特記事項はなし。あとは、本ばかり読んでましたが。家人は、もう一人の同行者とともに新年度に向けて新しい役員発掘まわりだった。2,3手ごたえがあったらしく、ほっとしている。

 

 中国の大気汚染、海水の温度上昇、核開発エスカレートの動き、その他、その他。毎日トランプ、難民、金正男で揺れるあいだも、環境破壊は進んでいる。没後53年のこの人を、いまいちど思い起こそう。

 

運命の海に出会って レイチェル・カーソン <新装改訂版>

運命の海に出会って レイチェル・カーソン <新装改訂版>

 

 この方、文学的素質がおありだった。『われらをめぐる海』は、ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラー・リストに86週もとどまった。科学系統の読み物としては異例。いかに熱狂的に迎えられたことか。いま日本では村上春樹の新作を各メディアが取り上げ、書店に山積み。村上春樹も悪くないけど、今カーソンを読むことは真の教養を積むことになる。カーソンは当時米政界に力のあった農薬メーカーとも真っ向から対峙、戦っている。ケネディはカーソンの主張を政治に反映させてくれてる。アイゼンハワーはペケ。企業の犬。自然保護論者の首を次つぎに切ったからね。政府の仕事を辞めたカーソンは、ワシントン・ポスト紙に宛てて政府を激しく非難、かっこいいとはこのこと。何て素敵な人なんだ!

沈黙の春』を出版したのが1962年。その2年後には自らがガンで56歳で死んでしまった。ほんと、涙がでちゃった。この本はとっても分かりやすい。面白いから読んでみてね。図書館にもあるでしょ、きっと。

歩かねば

 午前中、本を読んでいたが、すこし歩かねばと、午後に近所のT子さんを誘ってでかける。アイスバーン。T子さんにはちょっときつかったかなとケガをさせはすまいかと心配した。5900歩で無事帰還。結局肴町のアーケード街を往復。

 午後には主人は水泳。それが、流水のプールで倒れた方があったようだ。心臓麻痺だったよう。駆けつけたスタッフに混じり、主人もなにがしかお役に立とうとしたようだ。スタッフがAEDなどで心臓マッサージ。救急車が来るには来たけれども、間に合わなかったとか。管理の方に伺うと、珍しいことではなく、特にシャワー室で倒れる方がままあるということだ。